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Vol.0272
カンチャナブリー
カンチャナブリ (タイ)


Vol.0274
【泰緬鉄道の史跡・足跡を訪ねて】 アルヒル桟道橋(タムカセ)
タムカセ (カンチャナブリー県) (タイ)



おいらたち好奇心旺盛なキョロちゃんが、いろいろなところを訪れたクェ!!!


Vol. 0273
【泰緬鉄道の史跡・足跡を訪ねて】
本当の「戦場にかける橋」のモデルとなった橋を探して・・・。ソンカリア橋(ソンクライ橋)と日本軍が掘った洞窟

あのカンチャナブリの有名な鉄橋は実はニセモノだった!?
ロケ地
ソンカリア村(Ban Song Kalia) (カンチャナブリー県サンクラブリー郡) (タイ)

現在では、映画「戦場にかける橋」のモデルとなった橋は、カンチャナブリーにあるクウェー川鉄橋(クワイ川鉄橋)といわれているよ。でもそれは、映画「戦場にかける橋」が公開された後に、旧泰緬鉄道沿線にある橋で映画に出てきた橋と似たような橋を「映画のモデルとなった橋」として観光目的として広めた・・・そして、本当の映画のモデルとなった橋は違う場所にある・・・という情報を得たよ。
そこで、本当の「戦場にかける橋」のモデルとなった橋を探してみたよ。
※ このページは、
Go!Go!キョロちゃん『Vol.249 「死の鉄道」と呼ばれた泰緬鉄道の足跡を訪ねて』 および
Go!Go!キョロちゃん『Vol.250 タイの日本人墓地・慰霊碑・納骨堂・お寺などを訪ねて 』
に掲載した写真の中から「ソンカリア橋(ソンクライ橋)」 に関する写真を抜粋して掲載したものだクェ。




写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!!
No.000-01
(参考資料)こんな記事を見つけたクェ! この記事によると、映画「戦場にかける橋」のモデルとなった橋は、実はあの有名なカンチャナブリの鉄橋ではなく、この村にあった橋だ・・・というものだクェ。(左の写真参照)。また、その橋を見つけた市民団体(マレー半島ピースサイクル(MPPC))の資料(下の2つのリンク参照)も見つけたクェ。
つまりは、現在では映画「戦場にかける橋」のモデルとなった橋は、カンチャナブリーにあるクウェー川鉄橋(クワイ川鉄橋)といわれているけど、でもそれは、映画「戦場にかける橋」が公開された後に、旧泰緬鉄道沿線にある橋で映画に出てきた橋と似たような橋を「映画のモデルとなった橋」として観光目的として広めた・・・そして、本当の映画のモデルとなった橋は違う場所にある・・・ということらしい・・・
これはぜひ見てみないと!!!
そこで、本当の「戦場にかける橋」のモデルとなった橋を探してみたよ。


【ニュース記事】
2006/08/05 12:22 (共同通信)
「戦場にかける橋」を確認 市民団体が泰緬鉄道を調査
 第2次大戦中、旧日本軍が連合国軍捕虜やアジア人労働者を動員してタイ-ミャンマー間に敷設した泰緬(たいめん)鉄道のうち、映画「戦場にかける橋」のモデルとされるソンクライ橋跡を市民団体「マレー半島ピースサイクル」(千葉県)が現地調査で確認した。同団体が5日、横浜市で発表した。
 泰緬鉄道は、旧日本軍がインド侵攻のため、ジャングルや山岳地を切り開いて敷設。ソンクライ橋の建設では、オーストラリアやイギリス人捕虜約1600人のうち600人以上が病死し、さらに多くのアジア人労働者が死亡した。イギリス軍は戦後、同橋を含むルートの大部分を破壊した。
 マレー半島ピースサイクルは昨年11月、同橋の建設に携わった元日本陸軍将校の証言などを基に、タイ、ミャンマー国境を調査。タイ側に13キロ入った地点を流れる川の底に約3メートル間隔で並ぶ6基のコンクリートブロックを確認した。
2006/08/05 12:22 【共同通信】

(資料)

  • 【ニュース記事】2006/08/05 12:22 (共同通信)「戦場にかける橋」を確認 市民団体が泰緬鉄道を調査


  • (資料1)ソンクライ橋跡の発見について


  • (資料2)「戦場にかける橋」のモデル跡を確定





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    No.000-02
    (参考資料)先日、こんな記事を見つけたクェ。

    2013年1月1日11時31分
    読売新聞

    (原文)

    「戦場にかける橋」泰緬鉄道ミャンマーで再生へ

    第2次大戦中に旧日本軍がタイからビルマ(現ミャンマー)へ軍事物資を輸送するために建設した泰緬(たいめん)鉄道のルートに、ミャンマー政府が新たに鉄道と幹線道路を建設する計画であることが、明らかになった。

    建設に動員された捕虜などが多数犠牲になり、今も「死の鉄道」と呼ばれるが、政府はタイとアンダマン海側を結ぶ「貿易鉄道」として再生し、少数民族地域の経済浮揚を図りたい考えだ。

    旧泰緬鉄道のビルマ側は大戦後、大半が少数民族武装勢力の新モン州党(NMSP)やカレン民族同盟(KNU)の支配地域に入り、廃線状態となった。だが、政府が昨年、NMSP、KNUと停戦協定を結んだため、鉄道ルートの活用が可能になった。

    和平交渉を担当するアウン・ミン大統領府相によると、鉄道と道路は、鉄道のビルマ側起点だったタンビュザヤから、国境のスリーパゴダパスまでの約100キロ・メートルに建設する。政府は先月中旬、すでにルートの現地調査に着手しており、テイン・セイン大統領は最近、道路建設の調査費計上も認めた。

    大統領は、タイ国境沿いに経済特区を数か所建設し、少数民族地域の経済発展を目指す考えで、スリーパゴダパスにも特区を開発する予定だ。

    タイ側には、バンコク方面からスリーパゴダパス付近まで幹線道路が延びており、ミャンマー政府は双方の道路を接続させる一方、旧泰緬鉄道のタイ・ナムトクからミャンマー側までの断線区間の整備などもタイ政府と協議し、経済特区の機能性を高めて外資などの工場進出を促す。

    モン州の州都モーラミャイン周辺には、貿易港を整備する計画もあり、鉄道と道路が開通すれば、日系工場が集まるタイやベトナム側とインド、欧州方面を結ぶ新たな動脈になる。

    資金計画は調査結果を基に検討するが、アウン・ミン大臣は「外国から資金を得たい」と開発援助に期待する一方で、政府単独でも建設を進める方針を示した。
    (ミャンマー東部タンビュザヤで 深沢淳一、写真も)

    ◆泰緬鉄道=旧日本軍が1942年7月~43年10月に建設したタイ・ノンプラドックとビルマ(現ミャンマー)・タンビュザヤを結ぶ415キロ・メートルの鉄道。英国軍の捕虜やアジア人労働者が動員され、過酷な労働や疫病などで7万人以上が犠牲になったとされる。

    タイ西部カンチャナブリにある鉄橋は、映画「戦場にかける橋」の舞台となった。現在、鉄道はタイ側の一部で運行されている。

    (資料)


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    No.000-03
    (参考資料)「戦場にかける橋」のモデル跡を確定 (小野木祥之) 1/4

    (資料)


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    No.000-04
    (参考資料)「戦場にかける橋」のモデル跡を確定 (小野木祥之) 2/4

    (資料)


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    No.000-05
    (参考資料)「戦場にかける橋」のモデル跡を確定 (小野木祥之) 3/4

    (資料)


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    No.000-06
    (参考資料)「戦場にかける橋」のモデル跡を確定 (小野木祥之) 4/4

    (資料)

    No.001
    ということで、カンチャナブリから西へ約200km以上、ミャンマーの国境まで13Kmのところにあるソンカリア村(Ban Song Kalia)に来たクェ。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.002
    キロポスト表示:5Km地点付近。スリーパゴダパスまで13Km地点にあるクェ。

    ※ このページは、Go!Go!キョロちゃん『Vol.249 「死の鉄道」と呼ばれた泰緬鉄道の足跡を訪ねて』およびGo!Go!キョロちゃん『Vol.250 タイの日本人墓地・慰霊碑・納骨堂・お寺などを訪ねて 』に掲載した写真の中から 「ソンカリア橋(ソンクライ橋)」 に関する写真を抜粋して掲載したものだクェ。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

  • Go!Go!キョロちゃん!!! (Vol.249) 「死の鉄道」と呼ばれた泰緬鉄道の足跡を訪ねて


  • Go!Go!キョロちゃん!!! (Vol.250) タイの日本人墓地・慰霊碑・納骨堂・お寺などを訪ねて


  • Go!Go!キョロちゃん!!! (Vol.281) 泰緬鉄道で使われていた蒸気機関車たち




  • No.003
    ソンカリア村って書いてあるね。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.004
    ソンカリア村の小学校。この学校の横にソンカリア川が流れていて、そこに「戦場にかける橋」のモデルとなった橋があったといわれているクェ。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.005
    学校の横にかかる現在の橋。この先13Kmにタイ・ビルマ国境のスリー・パゴダ・パスがあるクェ。
    ではこの橋の横から川に下りていくクェ。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.006
    現在の橋から約100mくらい下流に行ったところで、細長いコンクリート製のブロックを見つけたクェ。これは前述の資料にかかれたものと同じだクェ。
    このコンクリートブロックは橋の土台となったものと思われるクェ。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.007
    コンクリートブロック

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.008
    こっちにもあるね。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.009
    そのコンクリートブロックの上で記念撮影・・・
    ハイ、チ~、クェッ!!!」

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.010
    コンクリートブロックは左の岸に1本、川の中に1本見えるね。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.011
    川の対岸にもそれらしきものが見えるクェ。
    ズーム・イン・・・

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.012
    あ、やっぱりあれもコンクリートブロックのようだクェね。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.013
    コンクリートブロック

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.014
    おいらが写真を撮っていると、タイの学生グループがやってきたクェ。話をしてみると、彼たちも「戦場にかける橋」のモデルとなった橋について調査・取材しているとのことだクェ。
    そこでおいらもこの学生さんグループの調査に便乗するクェ。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.015
    さっき見たコンクリートブロックと、現在の橋との中間くらいの所にきたクェ。
    3本の杭みたいなのが立ってるね。前述の資料にも書かれていたけど、これは木製の橋の残骸のようだクェ。
    当時、このへんには泰緬鉄道の鉄道橋と自動車用の橋の2つの橋があったらしい・・・と前述の資料には書かれていたクェ。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.016
    かなり朽ちているね。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.017
    近くの川の中には加工した丸太が何本か沈んでいるね。一部は水面に出ているし・・・。
    写真では光が反射してこの丸太の詳細は見えないけど、実際に見るとこれらは自然木が倒れたものではなく、明らかに人が加工した丸太だクェ。これも昔の橋の残骸なのかな・・・。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.018
    その丸太の上で記念撮影
    「ハイ、チ~、クェッ!!!」
    丸太の向こうにはさっき見た水中に立てられた3本の杭が見えるね。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.019
    左側の水面にも杭みたいなのが出ているね。
    ちなみに奥に見えるのが現在の橋。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.020
    その杭にズームイン

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.021
    川原には、コンクリートの残骸があちこちに転がっているクェ。これも橋の残骸なのかなぁ・・・
    でもここは、さっき見たコンクリートブロックのあった場所から100mくらい離れているので、何の残骸なんだろうクェねぇ・・・。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.022
    そう思っていたら、学生グループにこの場所について説明している人(隣接の小学校の用務員さん又は先生)が、「ここにもう1つ橋があった・・・」と話してくれた。つまり、その人(用務員さん又は先生)が言うには「さっき見た橋は爆撃で破壊されたので、その後、ここにもう1つ(つまり3本目の)コンクリート製の橋を作った・・・。その残骸です・・・。つまりここには破壊された橋を含め計3本の橋があった・・・」話してくれたクェ。
    この中央の木の右側、人が立っているところは、自然石ではなく、その橋のコンクリートの土台だクェ。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.023
    3本目の橋の土台のコンクリート

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.024
    見えにくいけど、よ~く見ると、コンクリートの中から鉄筋が7~8本のぞいているのが見えるクェね。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.025
    近くにはこんなコンクリートブロックも・・・。
    これも橋の残骸なのかな?
    学生さんがビデオ撮影していて「このコンクリートブロックは背丈よりもはるかに高いです・・・」とコメントしているところだクェ。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.026
    川原の土手を登ったところに大きなくぼみ。
    説明役の人(用務員さん又は先生)の話では、これば爆弾がここに投下されてできたクレーターとのこと。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.027
    その爆弾クレーターの近くには古い角材。
    これも橋の残骸とのこと・・・

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.028
    そしてその説明役の人が、学校の敷地内の建物の軒下から、かつて橋で使われていた金物・金具(というのかな)をたくさん持ち出してきて見せてくれたクェ。
    ちなみに左の方がその案内役の人(用務員さん又は先生)だクェ。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.029
    たくさん持ってきてて見せてくれたクェ。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.030
    材木同士をつなぐための金具。線路を枕木に固定する太い釘。線路同士を連結するジョイント金具などなど・・・た~くさん!!!
    これってもしかしてとても貴重なものなのでは・・・。建物の軒下に無造作に放置されていたけど・・・。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.031
    説明役の用務員さん(又は先生) に取材をしている学生さん。
    この学生さんのグループ、来週、ナコンパトムの大学で今回調査したこと(「戦場にかける橋」のモデルとなったこの橋のこと)を発表するといっていたクェ。おいらもその大学での発表会に誘われたけど、都合が悪かったので断わってしまった・・・。参加したかったなぁ・・・。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.032
    この説明役の人は、橋があったことは知っているけど、橋の建設には従事はしていないとのことだった・・・。

    ソンクライ橋(ソンカリア橋)の跡(「戦場にかける橋」のモデルとなった(?)橋)(タイ,ソンカリア(Song Kalia))

    No.033
    学生さんたちの調査・取材が終わった後、その学生さんたちが「日本軍が掘った洞窟に行くので一緒にいきませんか?」と誘ってくれたクェ。もちろんおいら興味津々。ついていくことに・・・。
    場所はキロポスト表示9Km地点。そして国境のスリーパゴダパスまで9Km地点のところだクェ。

    日本軍が掘ったといわれる洞窟(タイ,サンクラブリー郊外)

    No.034
    あの黄色い矢印標識の先を左折。

    日本軍が掘ったといわれる洞窟(タイ,サンクラブリー郊外)

    No.035
    細い道をてくてく・・・

    日本軍が掘ったといわれる洞窟(タイ,サンクラブリー郊外)

    No.036
    細い橋をてくてく・・・

    日本軍が掘ったといわれる洞窟(タイ,サンクラブリー郊外)

    No.037
    山道をてくてく・・・

    日本軍が掘ったといわれる洞窟(タイ,サンクラブリー郊外)

    No.038
    お~、これが日本軍が掘ったと言われる洞穴。

    日本軍が掘ったといわれる洞窟(タイ,サンクラブリー郊外)

    No.039
    洞穴の中で記念撮影
    「ハイ、チ~、クェッ!!!」
    写真で見ると明るそうに見えるけど、懐中電灯がないと真っ暗だクェ。

    日本軍が掘ったといわれる洞窟(タイ,サンクラブリー郊外)

    No.040
    洞窟内は分かれ道があり、片方はこのように行き止まり。もう一方の方に行くと、丘の向こう側に抜けられるようになっているクェ。

    日本軍が掘ったといわれる洞窟(タイ,サンクラブリー郊外)

    No.041
    きちんと四角形に掘ってるね。自然洞窟ではいことは明らかだね。

    日本軍が掘ったといわれる洞窟(タイ,サンクラブリー郊外)

    No.042
    フラッシュを使って写真撮っているので明るく見えるけど、中は本当に真っ暗だクェ。

    日本軍が掘ったといわれる洞窟(タイ,サンクラブリー郊外)

    No.043
    もうひとつ洞窟が・・・
    でもすぐに行き止まりだったクェ。

    日本軍が掘ったといわれる洞窟(タイ,サンクラブリー郊外)

    No.044
    洞窟探検終了。
    ではこれからタイ・ミャンマー国境のスリー・パゴダ・パス(日本語では「三仏塔峠」に向かうクェ。

    (タイ,サンクラブリー郊外)


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    No.000-01
    (参考資料)こんな記事を見つけたクェ! この記事によると、映画「戦場にかける橋」のモデルとなった橋は、実はあの有名なカンチャナブリの鉄橋ではなく、この村にあった橋だ・・・というものだクェ。(左の写真参照)。また、その橋を見つけた市民団体(マレー半島ピースサイクル(MPPC))の資料(下の2つのリンク参照)も見つけたクェ。
    つまりは、現在では映画「戦場にかける橋」のモデルとなった橋は、カンチャナブリーにあるクウェー川鉄橋(クワイ川鉄橋)といわれているけど、でもそれは、映画「戦場にかける橋」が公開された後に、旧泰緬鉄道沿線にある橋で映画に出てきた橋と似たような橋を「映画のモデルとなった橋」として観光目的として広めた・・・そして、本当の映画のモデルとなった橋は違う場所にある・・・ということらしい・・・
    これはぜひ見てみないと!!!
    そこで、本当の「戦場にかける橋」のモデルとなった橋を探してみたよ。


    【ニュース記事】
    2006/08/05 12:22 (共同通信)
    「戦場にかける橋」を確認 市民団体が泰緬鉄道を調査
     第2次大戦中、旧日本軍が連合国軍捕虜やアジア人労働者を動員してタイ-ミャンマー間に敷設した泰緬(たいめん)鉄道のうち、映画「戦場にかける橋」のモデルとされるソンクライ橋跡を市民団体「マレー半島ピースサイクル」(千葉県)が現地調査で確認した。同団体が5日、横浜市で発表した。
     泰緬鉄道は、旧日本軍がインド侵攻のため、ジャングルや山岳地を切り開いて敷設。ソンクライ橋の建設では、オーストラリアやイギリス人捕虜約1600人のうち600人以上が病死し、さらに多くのアジア人労働者が死亡した。イギリス軍は戦後、同橋を含むルートの大部分を破壊した。
     マレー半島ピースサイクルは昨年11月、同橋の建設に携わった元日本陸軍将校の証言などを基に、タイ、ミャンマー国境を調査。タイ側に13キロ入った地点を流れる川の底に約3メートル間隔で並ぶ6基のコンクリートブロックを確認した。
    2006/08/05 12:22 【共同通信】

    (資料)

  • 【ニュース記事】2006/08/05 12:22 (共同通信)「戦場にかける橋」を確認 市民団体が泰緬鉄道を調査


  • (資料1)ソンクライ橋跡の発見について


  • (資料2)「戦場にかける橋」のモデル跡を確定





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    No.000-02
    (参考資料)先日、こんな記事を見つけたクェ。

    2013年1月1日11時31分
    読売新聞

    (原文)

    「戦場にかける橋」泰緬鉄道ミャンマーで再生へ

    第2次大戦中に旧日本軍がタイからビルマ(現ミャンマー)へ軍事物資を輸送するために建設した泰緬(たいめん)鉄道のルートに、ミャンマー政府が新たに鉄道と幹線道路を建設する計画であることが、明らかになった。

    建設に動員された捕虜などが多数犠牲になり、今も「死の鉄道」と呼ばれるが、政府はタイとアンダマン海側を結ぶ「貿易鉄道」として再生し、少数民族地域の経済浮揚を図りたい考えだ。

    旧泰緬鉄道のビルマ側は大戦後、大半が少数民族武装勢力の新モン州党(NMSP)やカレン民族同盟(KNU)の支配地域に入り、廃線状態となった。だが、政府が昨年、NMSP、KNUと停戦協定を結んだため、鉄道ルートの活用が可能になった。

    和平交渉を担当するアウン・ミン大統領府相によると、鉄道と道路は、鉄道のビルマ側起点だったタンビュザヤから、国境のスリーパゴダパスまでの約100キロ・メートルに建設する。政府は先月中旬、すでにルートの現地調査に着手しており、テイン・セイン大統領は最近、道路建設の調査費計上も認めた。

    大統領は、タイ国境沿いに経済特区を数か所建設し、少数民族地域の経済発展を目指す考えで、スリーパゴダパスにも特区を開発する予定だ。

    タイ側には、バンコク方面からスリーパゴダパス付近まで幹線道路が延びており、ミャンマー政府は双方の道路を接続させる一方、旧泰緬鉄道のタイ・ナムトクからミャンマー側までの断線区間の整備などもタイ政府と協議し、経済特区の機能性を高めて外資などの工場進出を促す。

    モン州の州都モーラミャイン周辺には、貿易港を整備する計画もあり、鉄道と道路が開通すれば、日系工場が集まるタイやベトナム側とインド、欧州方面を結ぶ新たな動脈になる。

    資金計画は調査結果を基に検討するが、アウン・ミン大臣は「外国から資金を得たい」と開発援助に期待する一方で、政府単独でも建設を進める方針を示した。
    (ミャンマー東部タンビュザヤで 深沢淳一、写真も)

    ◆泰緬鉄道=旧日本軍が1942年7月~43年10月に建設したタイ・ノンプラドックとビルマ(現ミャンマー)・タンビュザヤを結ぶ415キロ・メートルの鉄道。英国軍の捕虜やアジア人労働者が動員され、過酷な労働や疫病などで7万人以上が犠牲になったとされる。

    タイ西部カンチャナブリにある鉄橋は、映画「戦場にかける橋」の舞台となった。現在、鉄道はタイ側の一部で運行されている。

    (資料)


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    No.000-03
    (参考資料)「戦場にかける橋」のモデル跡を確定 (小野木祥之) 1/4

    (資料)


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    No.000-04
    (参考資料)「戦場にかける橋」のモデル跡を確定 (小野木祥之) 2/4

    (資料)


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    No.000-05
    (参考資料)「戦場にかける橋」のモデル跡を確定 (小野木祥之) 3/4

    (資料)


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    No.000-06
    (参考資料)「戦場にかける橋」のモデル跡を確定 (小野木祥之) 4/4

    (資料)


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    Link
    【ニュース記事】2006/08/05 12:22 (共同通信)「戦場にかける橋」を確認 市民団体が泰緬鉄道を調査
    (資料1)ソンクライ橋跡の発見について
    (資料2)「戦場にかける橋」のモデル跡を確定
    Go!Go!キョロちゃん!!! (Vol.249) 「死の鉄道」と呼ばれた泰緬鉄道の足跡を訪ねて
    Go!Go!キョロちゃん!!! (Vol.250) タイの日本人墓地・慰霊碑・納骨堂・お寺などを訪ねて
    Go!Go!キョロちゃん!!! (Vol.281) 泰緬鉄道で使われていた蒸気機関車たち
    【ニュース記事】2006/08/05 12:22 (共同通信)「戦場にかける橋」を確認 市民団体が泰緬鉄道を調査
    (資料1)ソンクライ橋跡の発見について
    (資料2)「戦場にかける橋」のモデル跡を確定




    Vol.0272
    カンチャナブリー
    カンチャナブリ (タイ)


    Vol.0273
    【泰緬鉄道の史跡・足跡を訪ねて】 本当の「戦場にかける橋」のモデルとなった橋を探して・・・。ソンカリア橋(ソンクライ橋)と日本軍が掘った洞窟
    ソンカリア村(Ban Song Kalia) (カンチャナブリー県サンクラブリー郡) (タイ)


    Vol.0274
    【泰緬鉄道の史跡・足跡を訪ねて】 アルヒル桟道橋(タムカセ)
    タムカセ (カンチャナブリー県) (タイ)


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