旅先(ロケ地)一覧 |
Vol.0554 (シンガポールの戦跡) 昭南神社の痕跡を探して。(シンガポール) 昭南神社跡地 (マクリッチ貯水池, シンガポール) |
Vol. 0556 【シンガポール戦跡記念碑(全20基)めぐり】 (1) Sarimbun Beach Landing (サリンブン海岸上陸) |
おいらたち好奇心旺盛なキョロちゃんが、いろいろなところを訪れたクェ!!! |
Vol. 555 |
シンガポール 戦跡記念碑 (全20基) めぐり |
ロケ地 シンガポール (シンガポール) |
1995年、第2次世界大戦終結50周年にあたるこの年、11基の戦跡記念碑がシンガポール国内に建立されました。 これらの記念碑は、第2次世界大戦時にシンガポールで起こった出来事を忘れず後世に伝えるために、「許そう、しかし忘れまい」のかけ声のもと、シンガポール政府(記念碑設立委員会)によって建てられました。 記念碑には、シンガポールの公用語である 英語,マレー語,中国語,タミール語 とともに、当時シンガポールを占領していた国の”日本語”の5カ国語によって説明文が刻まれています。 (日本占領時、シンガポールは「昭南島」とよばれていました。) 日本軍がシンガポールに上陸した海岸、シンガポール中心市街地侵攻時の戦場、憲兵隊支部が入っていたビル、「大検証(粛清)」検問場などシンガポール各地に記念碑が存在しています。 現在では多くの日本人観光客やビジネスマンが訪れるシンガポール。でもかつて日本がシンガポールで何をおこなったかを知る人は少ないのでは・・・。 過去の悲惨な歴史に目をそむけず、「事実」を知っておくこはとても大切だと思います。 記念碑にわざわざ”日本語”の碑文を刻んだのも、シンガポールの人たちのそのような思いが込められているからでしょう・・・。 前々からこれらの記念碑が気になっていましたが、シンガポールに自転車を持ち込む機会がありましたので、自転車でこれらの記念碑などを探してまわりました。 (※以上、1999年当時に作成したHP より。) |
11基の戦跡記念碑の地図 (1999年) |
それから 15年後・・・。 |
2014年 1月初旬、シンガポールに行く機会がありました。そしてこれら11基の戦跡記念碑を再度訪れてみることにしました。その理由は以下の通りです。 ・15年前は、デジカメが普及しておらずフィルムカメラで撮影していました。そのため写真枚数が少なく、そのため現地の様子をたくさん写真に撮ることができませんでした。 ・時々、「記念碑の行き方がわからない・・・」「記念碑にたどりつけなかった・・・」のようなメールを頂くことがありました。戦跡記念碑によっては、メール(文字)での説明が難しい所があります。そこで、現地に行くまでの様子の写真も掲載しようと思いました。 など。 15年ぶりに訪れて判明したことは、かつて11基だった戦跡記念碑が 20基 に増えていたことでした。(下の地図ご参照。) |
20基の戦跡記念碑 (2014年) ( 地図のみ / サイト名のみ ) |
戦跡記念碑の数が増えたことは思いもよらなかったことでしたが、できれば追加分も含めて全20基を訪れたいと思いました。ただし、上記の地図では、追加分の詳細な位置がわかりません。 そこでシンガポール滞在期間中に急きょ、この戦跡記念碑を管理しているシンガポールの組織にメールを送り、追加分の戦跡記念碑の場所などを問い合わせてみました。 するとすぐに回答は来たのですが、書かれていたのは大まかな位置だけでした。 (例えば、「〇○地区の○○公園内」のような感じ。) 「詳細な位置は、現在担当者が不在なのですぐにはわからない」とのことでした。 これだと、広いエリアをくまなく探し回らないといけないので大変なことになるだろう・・・と想像がつきます。しかし、滞在期間のこともあるので、いつになるかわからない担当者の回答を待つ余裕もありませんでした。 そこで追加分の戦跡記念碑は、頂いた大まかな位置情報だけを頼りに現地まで行き、探してまわりました。 |