Vol.1363 【花蓮をサイクリング】(4) 松園別館 花蓮市 (台湾) |
Vol.1365 【花蓮をサイクリング】(6) 花蓮港山林事務所 (菁華林苑) 花蓮市 (台湾) |
Vol. 1364
【花蓮をサイクリング】 (5) 江口良三郎紀念公園とトーチカ (洄瀾望海海濱公園) ロケ地 花蓮市 (台湾) |
No.001 |
ここは、台湾の花蓮市だクェ。現在、レンタサイクル(貸自転車)で花蓮市内をサイクリングしているクェ。 松園別館の見学を終え、現在自転車で江口良三郎紀念公園に向けて走っているクェ。 ※江口良三郎については、ネットなどで検索してクェ。参考までに、おいらがネットで見つけた資料は、このページの最後(一番下)に掲載しておくクェ。 ※(ご参考) 台湾をはじめ、これまでに日本や世界各地の日本人墓地、日本人慰霊碑、神社跡、史跡、日本人街などを訪れたクェ。その時の様子は下記リンク先を参照してクェ。 |
花蓮市 (台湾・花蓮県) |
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No.002 |
右側に大きな病院があるね。「台湾基督教門諾会医院」だクェ。 |
花蓮市 (台湾・花蓮県) |
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No.003 |
台湾基督教門諾会医院を見上げる。 |
花蓮市 (台湾・花蓮県) |
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No.004 |
右折して海岸方面に向かうクェ。 あそこに大きなレーダードームが見えるクェ。 |
花蓮市 (台湾・花蓮県) |
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No.005 |
海岸沿いの洄瀾望海海濱公園に到着。 あそこの小高いところに穴が開いているね。もしかしてこれは防空壕かトーチカかな? |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.006 |
トーチカのようだクェ。 ※(ご参考) これまでに台湾各地でみつけたトーチカや防空壕などを訪れた時の様子は、下記リンクを参照してクェ。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.007 |
洄瀾望海海濱公園のトーチカを観察中。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.008 |
洄瀾望海海濱公園のトーチカを観察中。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.009 |
洄瀾望海海濱公園のトーチカを観察中。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.010 |
洄瀾望海海濱公園のトーチカを観察中。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.011 |
トーチカの向かいには、さっき見たレーダードームがそびえ建っているクェ。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.012 |
洄瀾望海海濱公園のトーチカをバックに、記念撮影だクェ。 ハイ、チ~、クェッ! |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.013 |
トーチカの向こうには、海が見えるクェ。ここが高台にあるので、トーチカを設置するにはいい場所だったんだろうクェね。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.014 |
あっちにも盛り上がったところがあるクェ。行ってみるクェ。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.015 |
あそこに入口が見えるね。これもトーチカだクェ。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.016 |
洄瀾望海海濱公園のトーチカを観察中。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.017 |
洄瀾望海海濱公園のトーチカを観察中。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.018 |
洄瀾望海海濱公園のトーチカを観察中。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.019 |
このトーチカの近くに立派な記念碑を見つけたクェ。 「海軍殉難四戦士紀念碑」って刻まれているね。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.020 |
海軍殉難四戦士紀念碑の碑文を見てみる。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.021 |
記念碑の後ろ側を見てみる。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.022 |
ここから海岸を眺める。 では、江口良三郎紀念公園を探すクェ。地図だとこの辺りにあるはずなんだけど見つからないクェ。 この洄瀾望海海濱公園に沿って、行ったり来たりしているクェ。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.023 |
あそこに石碑を発見。 「友誼永固」って刻まれているね。でも一番上の文字の「友」の赤色が抜けているね。風化で赤色が抜けたのか、故意で白く塗られたのかはわからないクェね。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.024 |
この石碑をよく見ると、日本に関係あるようだクェ。 日本國 大垣 かずさ 青年會議所 中華民國花蓮國際青年商會 締結姉妹會四十五週年紀念 刻まれているクェ。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.025 |
「日本國 大垣 かずさ 青年會議所」「中華民國花蓮國際青年商會」の部分にズーム。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.026 |
背面を見てみる。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.027 |
あそこに、この高台を下るサイクリングロードがあるクェ。もしかしたら、おいらが探している江口良三郎紀念公園は、この高台の下にあるのかもしれないクェ。あの道を下ってみるクェ。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.028 |
うっそうとした樹々の中のサイクリングロードがいいね! |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.029 |
坂道をガンガン下って行く。 もちろん帰りは、この坂を上って行かないといけないクェ。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.030 |
ここに説明板があるね。風化して読みにくいけどね。日本語の説明文もあるクェ。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.031 |
日本語の解説文にズーム。 (以下、原文のまま。) 米崙招呼站 MI-LUN STOP 港を築くとともに、「臨港線」の鉄道も敷設されつつ、それによって人力や物資が輸送されることができました。いわゆる輸送動脈として、花蓮における産業に頼られていたのです。明け方や夕方に、米崙待合所はとても賑やかで、学生たちの通学や教師親族の買い物ぶりはいつもの光景でした。夜明けや潮風に安らぎを感じ、海岸の素晴らしい風景に心寄せるとき、米崙待合所がかつて現実と夢との乗り継ぎ場所だと思い浮かべたのではないか。 |
洄瀾望海海濱公園 (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.032 |
おっ、あそこに大きな鳥居を発見!!! 江口良三郎紀念公園かな? ここに説明板があるね。見てみるクェ。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.033 |
「江口良三郎公園記」の説明文が中国語で書かれているクェ。 やはりここが、江口良三郎公園だクェ!!! |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.034 |
こっちにも別の説明板があるクェ。風化して読みにくいけどね。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.035 |
図の部分にズーム。 この江口良三郎公園のレイアウトが描かれているクェ。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.036 |
説明部にズーム。 日本語の説明文もあるクェ。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.037 |
日本語の説明文にズーム。 (以下、原文のまま。) 江口良三郎公園記 Ryosaburo Eguch Memorial Park 江口良三郎氏は日本九州佐賀県の出身で、大正九年から十五年まで花蓮港庁の庁長を務めていて、港の構築に力を注いでいました。大正十一年にやっと簡易な港墺が築かれ、その後、「江口突堤」と呼ばれる。 江口氏は歌謡を通じて、花蓮の美しさを称えた同時に、「能高団」をリーダーし、甲子園の試合で見事に勝利を挙げたきっかけで日本人を驚かし、宣伝に大いに役立ちました。しかし、病気でその夢が残されたまま、この世を去ったそうです。昭和六年十月二十七日までの没後五周年忌に港を作り始め、昭和十四年に竣工されました。 庶民は記念碑を建て、「江口庁長頌徳」と刻まれ、「米崙在住者」よりという形になりましたが、いまは「江口良三郎記念公園」を設置し、記念碑をわざと港に向けて立て直したゆえに、江口氏のこの土地に対する貢献を記念することになっております。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.038 |
では、江口良三郎紀念公園を散策するクェ。 あの大きな鳥居がいいね! |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.039 |
江口良三郎紀念公園の鳥居を観察中。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.040 |
江口良三郎紀念公園の鳥居を観察中。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.041 |
先に進むクェ。あの正面に記念碑が見えるね。その背後の丘の上には、さっき見たレーダードームが見えるクェ。 ということは、この江口良三郎紀念公園は、あのレーダードームの場所から下って来たところにあるんだね。目印になるね! |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.042 |
江口良三郎紀念公園にある記念碑を観察中。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.043 |
江口良三郎紀念公園にある記念碑を観察中。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.044 |
江口良三郎紀念公園にある記念碑を観察中。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.045 |
「江口庁長頌徳」って刻まれているクェ。さっきの解説文に書いていたいね。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.046 |
江口良三郎紀念公園にある江口庁長頌徳を観察中。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.047 |
左側面を観察中。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.048 |
左ナナメ後ろから見てみる。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.049 |
背面を見てみる。文字が刻まれているね。 「昭和二年六月二十五日 米侖在住者一」 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.050 |
右ナナメ後ろから見てみる。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.051 |
右側面を観察中。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.052 |
合掌。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.053 |
江口良三郎紀念公園にある江口庁長頌徳をバックに、写真を撮らせていただくクェ。 ハイ、チ~、クェッ! |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.054 |
江口良三郎紀念公園を散策中。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.055 |
では、そろそろ次の場所に向かうクェ。 ここから大鳥居を眺める。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.056 |
大鳥居を観察中。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.057 |
大鳥居の柱を見てみる。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.058 |
江口良三郎紀念公園にある江口庁長頌徳と大鳥居をバックに、写真を撮らせていただくクェ。 ハイ、チ~、クェッ! |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.059 |
ズームでもう一枚、 ハイ、チ~、クェッ! |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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No.060 |
最後にもう一度、江口良三郎紀念公園にある江口庁長頌徳と大鳥居を眺める。 |
江口良三郎紀念公園 と トーチカ (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.061 |
では、出発するクェ。 ここはサイクリングロードになっているようだね。 |
花蓮市 (台湾・花蓮県) |
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No.062 |
あそこに階段があるね。徒歩で江口良三郎紀念公園を訪れるには、この階段を下りてくればいいクェね。この階段の上は、ちょうどあのレーダードームがあるあたりだクェね。 |
花蓮市 (台湾・花蓮県) |
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No.063 |
海浜公園のオブジェ。 では次は、松園別館から見えた古い日本様式の家屋「花蓮港山林事務所 (菁華林苑)」を訪れるクェ。 お疲れさまでした!!! ※(ご参考) 台湾をはじめ、これまでに日本や世界各地の日本人墓地、日本人慰霊碑、神社跡、史跡、日本人街などを訪れたクェ。その時の様子は下記リンク先を参照してクェ。 |
花蓮市 (台湾・花蓮県) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.000-01 |
(参考資料 1-1) ※ネットで見つけたウェブサイトより。 URL: http://p.booklog.jp/book/99130/read (以下、原文のまま) 「花蓮・野球の歴史 KANOとも深い関係のある花蓮原住民野球団」(その1) 日本で活躍している台湾人プロ野球選手は今までに大勢います。そのほとんどが台湾の原住民である事をご存知でしょうか。 運動神経に秀でている原住民にとって、野球は最も得意とする分野です。原住民達の間で野球が広まったのは、日本統治時代の事です。 日本でも上映され、台湾通の人達の間では話題になった映画「KANO」にも原住民の生徒が登場します。 1906 年 3 月に台湾で最初に野球チームを組織したのは「台湾総督府国語学校中学校」でした。同年、中学校に続き「台湾総督府国語師範部」および 「夜学校台北中学会」が野球チームを結成し、この三校が台湾野球の始まりとなったのです。 その後,1915 年1月,北部野球協会が発足し、 9 月には南部野球協会、翌 年には台中体育会が組織され、台湾の北部、中部、南部の各地を統轄する団体がそろい、台湾の野球はより一層活発に活動できるようになったのです。また、1920 年には台湾体育協会が組織され、これによって台湾と日本のスポーツ交流が組織制度上可能となりました。 日本では原住民(阿美族)の子供達に野球を広めたのは第5代花蓮廰廰長の江口良三郎氏であると言われています。 確かに間違いではなのですが、実は、江口氏が原住民・阿美族の子供達に野球を広めることが出来た陰には2人の人物の貢献があったのです。 |
江口良三郎紀念公園 (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) 「花蓮・野球の歴史 KANOとも深い関係のある花蓮原住民野球団」 |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.000-02 |
(参考資料 1-2) ※ネットで見つけたウェブサイトより。 URL: http://p.booklog.jp/book/99130/read (以下、原文のまま) 「花蓮・野球の歴史 KANOとも深い関係のある花蓮原住民野球団」(その2) その一人が、花蓮出身の漢民族・林桂興(1899年生まれ)です。 ※写真の説明:(写真は台湾棒球維基館より引用) 彼は花蓮商工在学中に野球と出会いました。1920 年に花蓮商工を卒業した後、花蓮旭組に入社、彼は会社の野球部に所属し野球を続けていました。 1921年のある日の事、林は舞鶴社(現在の瑞穂)の阿美族の少年達が、小石を投げたり、小石を木棒に当てて目的地点まで飛ばしたりして遊んでいるのを見て、「この遊びは野球に似ている」と興味を引かれました。特に、その中の一人、サウマという少年は小石を剛速球で投げ込み、かつコントロールの良さを見て、その驚異的な身体能力に注目、アミ族少年たちからなる台湾野球史上初めての「原住民野球チーム」を結成、林は自ら監督としてこのチームを指導したのです。その後、チームは地方大会で活躍するようになりました。 ここに一つの逸話をご紹介しましょう。 1923年(大正12年)6月には、花蓮港の花崗山グラウンドで、阿美族を中心としたチームと日本チームがゲームをしており、阿美族のエース「サウマ」が延長16回を投げ抜き、サヨナラ・ホームランで阿美族が勝利しました。 また、花崗山グランドの前には「ホームラン亭」という食堂もオープンし、週末ともなれば、野球をする人、野球を見に来る人でとても繁盛していたそうです。 かつて総督府警務局理蕃課長を経験し、1920年9月に花蓮港廰長として赴任した江口良三郎は、この「原住民野球チーム」に興味を持ち、野球を通して理蕃政策を実現するべく、1923 年にメンバー全員を花蓮港農業補習学校(以下・花農)に入学させ、チームを「少年能高野球団(能高団)」と命名しました。 1925年(大正14年)には、「能高団」は日本遠征をして、各地でゲームを行なっています。当時の朝日新聞は、訓練された立派なチームで、あなどりがたい実力を持っていると評価している。 |
江口良三郎紀念公園 (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.000-03 |
(参考資料 1-3) ※ネットで見つけたウェブサイトより。 URL: http://p.booklog.jp/book/99130/read (以下、原文のまま) 「花蓮・野球の歴史 KANOとも深い関係のある花蓮原住民野球団」(その3) 当時の花蓮、台東はいずれも娯楽に乏しい地域でした。1917 年、野球は台湾の東部に伝わり、 1922 年に 花蓮港体育協会(以下・花蓮体協)が組織されことを機に、花蓮でも野球が盛んになっていきました。 江口良三郎は花蓮体協会長に就任し、副会長に梅野清太を選任しました。花蓮体協は「花蓮港在住内地人有力者全部を會 員に網羅して基礎強固なものであつたが,後日に 至り財團法人臺灣體育協會花蓮港支部に變更され 今日に及んでいる。」とあるように独自の運営 方針を打ち上げていました。 江口と梅野は特に野球に興味を持ち、盛んに野球を奨励した結果、「鐵團」(花蓮港鉄道部)をはじめ,「廳團」(花蓮港庁),「鹽糖」(鹽水港製糖会社花蓮港製糖所),「商工」(花蓮商工)などの強力なチームが現れるようになりました。これらのチームは花蓮の花岡岩グラウンドにおいて試合を行い,競い合うことで花蓮野球は盛況を呈するようになりました。 江口は理蕃政策だけではなく、花蓮体協に携わることで、花蓮港の体育や野球の普及を強化していきました。 1920 年代には花蓮港の野球は一つの娯楽として発展し、休日毎に花岡岩グラウンドにおいて野球試合を行うようになりました。その様子を江口は、「婦人も子供も老人も青年も,官吏も商人も會社員も,内地人本島人(漢 民族)も蕃人も唯だ一家族の如くになつていと樂しく見物してゐる。」と語っています。 野球をする人と野球を見る人々の間は相互に融和し、そこには西部のような関係者への攻撃の罵声もなく、入場料の問題も話題となりませんでした。 このように江口は野球によって内地人,漢民族, 原住民が共有する空間を作り上げることに成功、そこには内台融和の意図がうかがえます。 戦前初めて台湾から甲子園に出場して話題となり、準優勝までした「嘉義農林野球部」のメンバーの多くは元々、阿美族野球チーム「少年能高野球団」の出身者だったのです。 ※写真の説明:(嘉義農林VS花蓮中学の決勝戦 この年、残念ながら甲子園は開催されず、花蓮中学の甲子園出場は夢に終わった。 花蓮高中所蔵) 先にも述べました様に、江口良三郎が会長を務めていた花蓮体協ですが、スポーツ振興にはかなりの資金が必要となります。この資金面で貢献した人物が、台湾で初めての日本人移民村・賀田村を作り、花蓮に様々な産業を興し、インフラを整備し、さらには、台湾全体の近代化に大きく貢献した賀田金三郎だったのです。 この様に、林桂興と賀田金三郎という二人の人物がいたからこそ、江口良三郎の計画は実現され、そして、最終的には、嘉義農林野球部(KANO)が日本で活躍するという歴史が誕生したのです。 ※最後の2段落に出てきた「日本人移民村・賀田村を作った賀田金三郎」について。 この賀田村の「賀田村開拓記念碑」を訪れた時の様子と、賀田金三郎さんの会社のお墓「賀田組拓殖部従業員の墓」を訪れた時の様子は、下記リンク先を参照してクェ。 |
江口良三郎紀念公園 (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.000-04 |
(参考資料 1-4) ※ネットで見つけたウェブサイトより。 URL: http://p.booklog.jp/book/99130/read (以下、原文のまま) 「花蓮・野球の歴史 KANOとも深い関係のある花蓮原住民野球団」(その4) 江口良三郎は、野球の普及のみならず、それまで港がなかった花蓮の護岸工事を行い、花蓮港を作り上げた廰長として、花蓮の人達は今でも彼の功績を讃え、江口氏死去の後建立された記念碑を「江口良三郎記念公園」として今でも大切に保存してくださっています。 尚、本文を記するに当たり、スポーツ人類學研究 第 13 号:17‐38.2011 林 勝 龍著 早稲田大学スポーツ科学研究科博士課程論文 日本統治下における理蕃政策と蕃人野球チーム「能高団」を参照させて頂き、一部抜粋をさせて頂きました。 江口良三郎記念公園:花蓮市海岸路・民權八街一帯の遊歩道 トイレ:なし 景観:3 歴史的価値:5 |
江口良三郎紀念公園 (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.000-05 |
(参考資料 2) ※ネットで見つけたウェブサイトより。 URL: http://blog.goo.ne.jp/secondserve/e/6f92cb9843ff82e6a06b9c58ec50c5f3 (以下、原文のまま) 「アミ族野球団」 台湾における野球の歴史のはなしである。 鈴木 明の著書「ああ、台湾」によれば、台湾で最初に野球をやったのは「アミ族」だという。アミ族は、台湾の東海岸に住み、漁業などを行う、どちらかといえばおとなしい原住民だ。 日本統治下の台湾で行政官をしていた「江口良三郎」が、アミ族の子供たちに「ボール投げ」を教えたのが始まりという。1923年(大正12年)6月には、花蓮港の花岡山グラウンドで、アミ族を中心としたチームと日本チームがゲームをしており、アミ族のエース「サウマ」が延長16回を投げ抜き、サヨナラ・ホーマーでアミ族が勝ったという。このあと、このメンバーが中心となり「能高団」というチームを結成している。 1925年(大正14年)、この「能高団」は日本遠征をして、各地でゲームを行なった。当時の朝日新聞は、訓練された立派なチームで、あなどりがたい実力を持っていると評価している。 チーム「能高団」の活躍は、アミ族ばかりでなく、台湾全土の少年たちに強い影響をあたえたという。この野球に対する熱い思いは、戦後になっても続き、リトルリーグでの台湾チームが、世界を制覇した時の台湾人の喜びは、はかり知れないものがあった。一生懸命やれば、自分たちだって、世界一になれるという自信を持ったのがその時であった。 台湾から日本のプロ野球に来て活躍した名選手たちを書いておこう。 郭源治 台東のアミ族出身。中日ドラゴンズで活躍していた。 荘勝雄 台南出身の台湾人。確か、ロッテオリオンズで活躍していたと思う。 郭泰源 台南生れの台湾人 長栄高校野球部出身。巨人軍行きたかったらしいが、西武に入団。時速160kmを超える剛速球で人気があった。今は、どうしているのだろうか。 1925年は昭和の初めであるが、アミ族を中心に台湾原住民による野球チームができていたことは驚きではないだろうか。少なくとも、花蓮のアミ族の文化レベルはかなり向上していたのであろう。 |
江口良三郎紀念公園 (洄瀾望海海濱公園) (台湾・花蓮県花蓮市) 「アミ族野球団」 |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.064 |
(参考資料) 花蓮絵近くのレンタサイクル(貸自転車)屋さんの名刺(表) |
花蓮市 (台湾・花蓮県) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.065 |
(参考資料) 花蓮絵近くのレンタサイクル(貸自転車)屋さんの名刺(うら) |
花蓮市 (台湾・花蓮県) |
Vol.1363 【花蓮をサイクリング】(4) 松園別館 花蓮市 (台湾) |
Vol.1364 【花蓮をサイクリング】(5) 江口良三郎紀念公園とトーチカ (洄瀾望海海濱公園) 花蓮市 (台湾) |
Vol.1365 【花蓮をサイクリング】(6) 花蓮港山林事務所 (菁華林苑) 花蓮市 (台湾) |
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