Vol.0249-02 【泰緬鉄道の史跡・足跡を訪ねて】 カンチャナブリー平和祈念公園・桑井川神社(クワイ川神社) カンチャナブリー (タイ) |
Vol.0249-04 【泰緬鉄道の史跡・足跡を訪ねて】 日本軍慰霊塔 / 第二次世界大戦博物館 カンチャナブリー (タイ) |
Vol. 0249-03
【泰緬鉄道の史跡・足跡を訪ねて】 クワイ河平和寺院(永瀬隆さん建立) / 泰緬鉄道の蒸気機関車 ロケ地 カンチャナブリー (タイ) |
かつて(第二次世界大戦中)、タイとビルマ(現ミャンマー)間を結ぶ「泰緬鉄道」(たいめんてつどう) が建設されたよ。 この鉄道、建設中に多くの犠牲者(連合国の兵士、現地のタイやビルマの人、そして日本人など)が出たため、別名「死の鉄道」とも呼ばれているよ。(泰緬鉄道についての詳細はここでは触れないので Wikipedia などで検索してくださいクェ。) そんな泰緬鉄道の足跡を訪ねてみたよ。 |
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【訃報記事①】永瀬隆さん 第二次世界大戦時、陸軍の通訳として泰緬鉄道の建設に携わり、戦後、タイ各地に寺院や慰霊碑を建立された永瀬隆さんが、2011年6月21日にお亡くなりになりました。(享年93歳) 永瀬さんがタイ各地に建立した寺院・慰霊碑 ・「クワイ河平和寺院」 (カンチャナブリ) 国境平和祈念堂「星露院」 (サンクラブリ郊外・スリーパゴダパス) ・「日本兵士鎮魂之塔」 (ファイポン村) ・「クンユアム星露院」 (クンユアム・ムワイトー寺) など。 ・カンチャナブリのJEATH戦争博物館の中庭には永瀬さんの銅像があります。 |
【訃報記事①】永瀬隆さん |
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【訃報記事②】永瀬隆さん |
【訃報記事②】永瀬隆さん |
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【訃報記事③】永瀬隆さん |
【訃報記事③】永瀬隆さん |
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(参考資料) 先日、こんな記事を見つけたクェ。 2013年1月1日11時31分 読売新聞 (原文) 「戦場にかける橋」泰緬鉄道ミャンマーで再生へ 第2次大戦中に旧日本軍がタイからビルマ(現ミャンマー)へ軍事物資を輸送するために建設した泰緬(たいめん)鉄道のルートに、ミャンマー政府が新たに鉄道と幹線道路を建設する計画であることが、明らかになった。 建設に動員された捕虜などが多数犠牲になり、今も「死の鉄道」と呼ばれるが、政府はタイとアンダマン海側を結ぶ「貿易鉄道」として再生し、少数民族地域の経済浮揚を図りたい考えだ。 旧泰緬鉄道のビルマ側は大戦後、大半が少数民族武装勢力の新モン州党(NMSP)やカレン民族同盟(KNU)の支配地域に入り、廃線状態となった。だが、政府が昨年、NMSP、KNUと停戦協定を結んだため、鉄道ルートの活用が可能になった。 和平交渉を担当するアウン・ミン大統領府相によると、鉄道と道路は、鉄道のビルマ側起点だったタンビュザヤから、国境のスリーパゴダパスまでの約100キロ・メートルに建設する。政府は先月中旬、すでにルートの現地調査に着手しており、テイン・セイン大統領は最近、道路建設の調査費計上も認めた。 大統領は、タイ国境沿いに経済特区を数か所建設し、少数民族地域の経済発展を目指す考えで、スリーパゴダパスにも特区を開発する予定だ。 タイ側には、バンコク方面からスリーパゴダパス付近まで幹線道路が延びており、ミャンマー政府は双方の道路を接続させる一方、旧泰緬鉄道のタイ・ナムトクからミャンマー側までの断線区間の整備などもタイ政府と協議し、経済特区の機能性を高めて外資などの工場進出を促す。 モン州の州都モーラミャイン周辺には、貿易港を整備する計画もあり、鉄道と道路が開通すれば、日系工場が集まるタイやベトナム側とインド、欧州方面を結ぶ新たな動脈になる。 資金計画は調査結果を基に検討するが、アウン・ミン大臣は「外国から資金を得たい」と開発援助に期待する一方で、政府単独でも建設を進める方針を示した。 (ミャンマー東部タンビュザヤで 深沢淳一、写真も) ◆泰緬鉄道=旧日本軍が1942年7月~43年10月に建設したタイ・ノンプラドックとビルマ(現ミャンマー)・タンビュザヤを結ぶ415キロ・メートルの鉄道。英国軍の捕虜やアジア人労働者が動員され、過酷な労働や疫病などで7万人以上が犠牲になったとされる。 タイ西部カンチャナブリにある鉄橋は、映画「戦場にかける橋」の舞台となった。現在、鉄道はタイ側の一部で運行されている。 |
(資料) |
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No.001 |
カンチャナブリに戻ってきたクェ。 |
(タイ・カンチャナブリ) |
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No.002 |
これから、あの有名なクウェー川鉄橋(クワイ川鉄橋)に行ってみるクェ。 |
(タイ・カンチャナブリ) |
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No.003 |
クウェー川(クワイ川)橋。映画「戦場にかける橋」のモデルとなった橋として世界中の人に知られている有名な橋だクェ。 |
(タイ・カンチャナブリ) |
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No.004 |
クウェー川橋駅(クワイ川橋駅) |
クウェー川鉄橋駅(タイ・カンチャナブリ) |
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No.005 |
駅の前にはC56の蒸気機関車。もちろん泰緬鉄道で活躍した日本の蒸気機関車だクェ。 |
クウェー川鉄橋駅に展示の泰緬鉄道の蒸気機関車(タイ・カンチャナブリ) |
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No.006 |
C56蒸気機関車。泰緬鉄道で活躍した蒸気機関車。 |
クウェー川鉄橋駅に展示の泰緬鉄道の蒸気機関車(タイ・カンチャナブリ) |
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No.007 |
こっちはトラックを改造した貨車かな。 |
クウェー川鉄橋駅に展示の泰緬鉄道の蒸気機関車(タイ・カンチャナブリ) |
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No.008 |
こっちにも蒸気機関車があるね。これらはすべて泰緬鉄道で活躍したものだクェ。 |
クウェー川鉄橋駅に展示の泰緬鉄道の蒸気機関車(タイ・カンチャナブリ) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.009 |
蒸気機関車の前に記念碑が建っているクェ。 「軍属・機関士たりし佐々木一三君に協力してときの鉄道建設関係者有志並びに一般協力者これを遺す 1997,2月7日 旧泰緬鉄道C56形機関車保存会 ※写真をクリックすると拡大写真が見れるクェ。 |
クウェー川鉄橋駅に展示の泰緬鉄道の蒸気機関車(タイ・カンチャナブリ) |
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No.010 |
そして、蒸気機関車の向かいには、元日本陸軍憲兵隊通訳の永瀬隆さんが建立した「クワイ河平和寺院」が建っているクェ。 【訃報】この寺院を建立された永瀬隆さんが、2011年6月21日にお亡くなりになりました。(享年93歳) 訃報記事はこのHPの一番最後(一番下)に掲載しています。 ご冥福をお祈りいたします。 |
クワイ河平和寺院(タイ・カンチャナブリ) |
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No.011 |
あそこに クワイ河平和寺院 が見えるね。 |
クワイ河平和寺院(タイ・カンチャナブリ) |
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No.012 |
クワイ河平和寺院 |
クワイ河平和寺院(タイ・カンチャナブリ) |
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No.013 |
縦にしてもう一枚。 |
クワイ河平和寺院(タイ・カンチャナブリ) |
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No.014 |
クワイ河平和寺院 |
クワイ河平和寺院(タイ・カンチャナブリ) |
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No.015 |
クワイ河平和寺院の前に、記念碑が建っているね。 |
クワイ河平和寺院(タイ・カンチャナブリ) |
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No.016 |
記念碑 |
クワイ河平和寺院(タイ・カンチャナブリ) |
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No.017 |
こっちには、寄付・賛同者の名前などが書かれているね。 |
クワイ河平和寺院(タイ・カンチャナブリ) |
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No.018 |
これがここの正式な名称かな? 泰日山隆佳寺藤永坊 |
クワイ河平和寺院(タイ・カンチャナブリ) |
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No.019 |
クワイ河平和寺院 |
クワイ河平和寺院(タイ・カンチャナブリ) |
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No.020 |
中には黄金の仏様。 |
クワイ河平和寺院(タイ・カンチャナブリ) |
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No.021 |
合掌 |
クワイ河平和寺院(タイ・カンチャナブリ) |
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No.022 |
クウェー川鉄橋(クワイ川鉄橋)。美しい形の橋だね。 |
クウェー川鉄橋(タイ・カンチャナブリ) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.000-01 |
【訃報記事①】永瀬隆さん 第二次世界大戦時、陸軍の通訳として泰緬鉄道の建設に携わり、戦後、タイ各地に寺院や慰霊碑を建立された永瀬隆さんが、2011年6月21日にお亡くなりになりました。(享年93歳) 永瀬さんがタイ各地に建立した寺院・慰霊碑 ・「クワイ河平和寺院」 (カンチャナブリ) 国境平和祈念堂「星露院」 (サンクラブリ郊外・スリーパゴダパス) ・「日本兵士鎮魂之塔」 (ファイポン村) ・「クンユアム星露院」 (クンユアム・ムワイトー寺) など。 ・カンチャナブリのJEATH戦争博物館の中庭には永瀬さんの銅像があります。 |
【訃報記事①】永瀬隆さん |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.000-02 |
【訃報記事②】永瀬隆さん |
【訃報記事②】永瀬隆さん |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.000-03 |
【訃報記事③】永瀬隆さん |
【訃報記事③】永瀬隆さん |
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(参考資料) 先日、こんな記事を見つけたクェ。 2013年1月1日11時31分 読売新聞 (原文) 「戦場にかける橋」泰緬鉄道ミャンマーで再生へ 第2次大戦中に旧日本軍がタイからビルマ(現ミャンマー)へ軍事物資を輸送するために建設した泰緬(たいめん)鉄道のルートに、ミャンマー政府が新たに鉄道と幹線道路を建設する計画であることが、明らかになった。 建設に動員された捕虜などが多数犠牲になり、今も「死の鉄道」と呼ばれるが、政府はタイとアンダマン海側を結ぶ「貿易鉄道」として再生し、少数民族地域の経済浮揚を図りたい考えだ。 旧泰緬鉄道のビルマ側は大戦後、大半が少数民族武装勢力の新モン州党(NMSP)やカレン民族同盟(KNU)の支配地域に入り、廃線状態となった。だが、政府が昨年、NMSP、KNUと停戦協定を結んだため、鉄道ルートの活用が可能になった。 和平交渉を担当するアウン・ミン大統領府相によると、鉄道と道路は、鉄道のビルマ側起点だったタンビュザヤから、国境のスリーパゴダパスまでの約100キロ・メートルに建設する。政府は先月中旬、すでにルートの現地調査に着手しており、テイン・セイン大統領は最近、道路建設の調査費計上も認めた。 大統領は、タイ国境沿いに経済特区を数か所建設し、少数民族地域の経済発展を目指す考えで、スリーパゴダパスにも特区を開発する予定だ。 タイ側には、バンコク方面からスリーパゴダパス付近まで幹線道路が延びており、ミャンマー政府は双方の道路を接続させる一方、旧泰緬鉄道のタイ・ナムトクからミャンマー側までの断線区間の整備などもタイ政府と協議し、経済特区の機能性を高めて外資などの工場進出を促す。 モン州の州都モーラミャイン周辺には、貿易港を整備する計画もあり、鉄道と道路が開通すれば、日系工場が集まるタイやベトナム側とインド、欧州方面を結ぶ新たな動脈になる。 資金計画は調査結果を基に検討するが、アウン・ミン大臣は「外国から資金を得たい」と開発援助に期待する一方で、政府単独でも建設を進める方針を示した。 (ミャンマー東部タンビュザヤで 深沢淳一、写真も) ◆泰緬鉄道=旧日本軍が1942年7月~43年10月に建設したタイ・ノンプラドックとビルマ(現ミャンマー)・タンビュザヤを結ぶ415キロ・メートルの鉄道。英国軍の捕虜やアジア人労働者が動員され、過酷な労働や疫病などで7万人以上が犠牲になったとされる。 タイ西部カンチャナブリにある鉄橋は、映画「戦場にかける橋」の舞台となった。現在、鉄道はタイ側の一部で運行されている。 |
(資料) |