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Vol.0249-03
【泰緬鉄道の史跡・足跡を訪ねて】 クワイ河平和寺院(永瀬隆さん建立) / 泰緬鉄道の蒸気機関車
カンチャナブリー (タイ)


Vol.0249-05
【泰緬鉄道の史跡・足跡を訪ねて】 JEATH戦争博物館に建っている永瀬隆さんの銅像
カンチャナブリー (タイ)



おいらたち好奇心旺盛なキョロちゃんが、いろいろなところを訪れたクェ!!!


Vol. 0249-04
【泰緬鉄道の史跡・足跡を訪ねて】
日本軍慰霊塔 / 第二次世界大戦博物館

ロケ地
カンチャナブリー (タイ)

かつて(第二次世界大戦中)、タイとビルマ(現ミャンマー)間を結ぶ「泰緬鉄道」(たいめんてつどう) が建設されたよ。
この鉄道、建設中に多くの犠牲者(連合国の兵士、現地のタイやビルマの人、そして日本人など)が出たため、別名「死の鉄道」とも呼ばれているよ。(泰緬鉄道についての詳細はここでは触れないので Wikipedia などで検索してくださいクェ。)
そんな泰緬鉄道の足跡を訪ねてみたよ。




写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!!
No.000-01
(参考資料)先日、こんな記事を見つけたクェ。

2013年1月1日11時31分
読売新聞

(原文)

「戦場にかける橋」泰緬鉄道ミャンマーで再生へ

第2次大戦中に旧日本軍がタイからビルマ(現ミャンマー)へ軍事物資を輸送するために建設した泰緬(たいめん)鉄道のルートに、ミャンマー政府が新たに鉄道と幹線道路を建設する計画であることが、明らかになった。

建設に動員された捕虜などが多数犠牲になり、今も「死の鉄道」と呼ばれるが、政府はタイとアンダマン海側を結ぶ「貿易鉄道」として再生し、少数民族地域の経済浮揚を図りたい考えだ。

旧泰緬鉄道のビルマ側は大戦後、大半が少数民族武装勢力の新モン州党(NMSP)やカレン民族同盟(KNU)の支配地域に入り、廃線状態となった。だが、政府が昨年、NMSP、KNUと停戦協定を結んだため、鉄道ルートの活用が可能になった。

和平交渉を担当するアウン・ミン大統領府相によると、鉄道と道路は、鉄道のビルマ側起点だったタンビュザヤから、国境のスリーパゴダパスまでの約100キロ・メートルに建設する。政府は先月中旬、すでにルートの現地調査に着手しており、テイン・セイン大統領は最近、道路建設の調査費計上も認めた。

大統領は、タイ国境沿いに経済特区を数か所建設し、少数民族地域の経済発展を目指す考えで、スリーパゴダパスにも特区を開発する予定だ。

タイ側には、バンコク方面からスリーパゴダパス付近まで幹線道路が延びており、ミャンマー政府は双方の道路を接続させる一方、旧泰緬鉄道のタイ・ナムトクからミャンマー側までの断線区間の整備などもタイ政府と協議し、経済特区の機能性を高めて外資などの工場進出を促す。

モン州の州都モーラミャイン周辺には、貿易港を整備する計画もあり、鉄道と道路が開通すれば、日系工場が集まるタイやベトナム側とインド、欧州方面を結ぶ新たな動脈になる。

資金計画は調査結果を基に検討するが、アウン・ミン大臣は「外国から資金を得たい」と開発援助に期待する一方で、政府単独でも建設を進める方針を示した。
(ミャンマー東部タンビュザヤで 深沢淳一、写真も)

◆泰緬鉄道=旧日本軍が1942年7月~43年10月に建設したタイ・ノンプラドックとビルマ(現ミャンマー)・タンビュザヤを結ぶ415キロ・メートルの鉄道。英国軍の捕虜やアジア人労働者が動員され、過酷な労働や疫病などで7万人以上が犠牲になったとされる。

タイ西部カンチャナブリにある鉄橋は、映画「戦場にかける橋」の舞台となった。現在、鉄道はタイ側の一部で運行されている。

(資料)

No.001
クウェー川鉄橋(クワイ川鉄橋)。美しい形の橋だね。

クウェー川鉄橋(タイ・カンチャナブリ)

No.002
多くの観光客が歩いているね。この橋を渡ってずっと行くと、さっき訪れたアルヒル桟道橋やナム・トクに着くクェ。

クウェー川鉄橋(タイ・カンチャナブリ)

No.003
夕陽に輝くクウェー川鉄橋(クワイ川鉄橋)

クウェー川鉄橋(タイ・カンチャナブリ)

No.004
あっ、偶然にも列車が橋を渡っていく・・・。

クウェー川鉄橋(タイ・カンチャナブリ)

No.005
あそこに列車が見えるね。

クウェー川鉄橋(タイ・カンチャナブリ)

No.006
橋から見える大きな仏像。数年前、これが建つ時、景観問題が起こり、建立反対運動があったクェ。結局建ってしまったようだね。

クウェー川鉄橋(タイ・カンチャナブリ)

No.007
こっちには中国語の慰霊碑があるね。

クウェー川鉄橋(タイ・カンチャナブリ)

No.008
クウェー川(クワイ川)

クウェー川鉄橋(タイ・カンチャナブリ)

No.009
夕陽の当たるクウェー川鉄橋(クワイ川鉄橋)で記念撮影。「ハイ、チィ~、クェッ!!!」

クウェー川鉄橋(タイ・カンチャナブリ)

No.010
もう一枚、「ハイ、チィ~、クェッ!!!」
さっき撮った写真と欄干の形が違うのに気づいたクェか?

クウェー川鉄橋(タイ・カンチャナブリ)

No.011
有名なカンチャナブリの鉄橋から歩いて数分のところに、旧日本軍が建立した慰霊碑があるクェ。

※旅行先に「日本人墓地」や「日本人慰霊碑」があるとわかると、できるだけそこに訪問するようにしているよ。


※これでに訪れた各国の「日本人墓地」・「日本人慰霊碑」などは下記リンクを参照してクェッ!

日本軍慰霊塔(タイ・カンチャナブリ)

  • Go!Go!キョロちゃん!!! (Vol.M-011) 日本・世界各地の日本人墓地・慰霊碑・歴史遺構・日本人町跡など【まとめページ】




  • No.012
    結構大きな慰霊塔だクェね。


    ※これでに訪れた「日本人墓地」・「日本人慰霊碑」などは下記リンクを参照してクェッ!

    日本軍慰霊塔(タイ・カンチャナブリ)

    No.013
    合掌
    毎年3月に、タイ日本人会によって法要がおこなわれているクェ。

    日本軍慰霊塔(タイ・カンチャナブリ)

    No.014
    きれいに清掃もされてるね。

    日本軍慰霊塔(タイ・カンチャナブリ)

    No.015
    慰霊塔の背面に碑文があるクェ

    日本軍慰霊塔(タイ・カンチャナブリ)


    写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!!
    No.016
    碑文の内容は以下の通りだクェ。

    泰緬甸連接鉄道建設間不幸病ヲ得テ斃レタル南方各国労務者及俘虜ノ為此ノ碑ヲ建テ恭シク其ノ霊ヲ慰ム
    昭和十九年二月 日本軍鉄道隊

    ※写真をクリックすると拡大写真が見れるクェ。

    日本軍慰霊塔(タイ・カンチャナブリ)

    No.017
    いろいろな国の言葉で書かれているクェ。
    これはタイ語

    日本軍慰霊塔(タイ・カンチャナブリ)

    No.018
    マレー語

    日本軍慰霊塔(タイ・カンチャナブリ)

    No.019
    ベトナム語

    日本軍慰霊塔(タイ・カンチャナブリ)

    No.020
    タミール語

    日本軍慰霊塔(タイ・カンチャナブリ)

    No.021
    中国語

    日本軍慰霊塔(タイ・カンチャナブリ)

    No.022
    中国語

    日本軍慰霊塔(タイ・カンチャナブリ)

    No.023
    「世界人類が平和でありますように・・・」

    日本軍慰霊塔(タイ・カンチャナブリ)

    No.024
    「May Peace Prevail On Earth...」

    日本軍慰霊塔(タイ・カンチャナブリ)

    No.025
    お布施箱、記帳台帳もあるクェ。

    日本軍慰霊塔(タイ・カンチャナブリ)

    No.026
    慰霊碑から歩いて3分くらいのところにある「第二次世界大戦博物館」に来たクェ。

    第二次世界大戦博物館(タイ・カンチャナブリ)

    No.027
    敷地内にあるモニュメント

    第二次世界大戦博物館(タイ・カンチャナブリ)

    No.028
    ここにも泰緬鉄道で活躍した蒸気機関車が展示してあるクェ。

    第二次世界大戦博物館(タイ・カンチャナブリ)

    No.029
    立派な蒸気機関車だね。錆びているのでもったいないね。

    第二次世界大戦博物館(タイ・カンチャナブリ)

    No.030
    日の丸と説明文もあるね。

    第二次世界大戦博物館(タイ・カンチャナブリ)

    No.031
    説明文。上の2行は中国語。下の2行が日本語。ちょっと変な字体の日本語だね。現地の人が書いたんだろうね。

    「カンガヤブリでの第2次世界大戦時のミヤンマー、インドへの日本兵軍用具運搬用汽車」

    第二次世界大戦博物館(タイ・カンチャナブリ)

    No.032
    駅の近くの踏切の標識「列車に注意」って書いてあるね。

    (タイ・カンチャナブリ)


    写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!!
    No.000-01
    (参考資料)先日、こんな記事を見つけたクェ。

    2013年1月1日11時31分
    読売新聞

    (原文)

    「戦場にかける橋」泰緬鉄道ミャンマーで再生へ

    第2次大戦中に旧日本軍がタイからビルマ(現ミャンマー)へ軍事物資を輸送するために建設した泰緬(たいめん)鉄道のルートに、ミャンマー政府が新たに鉄道と幹線道路を建設する計画であることが、明らかになった。

    建設に動員された捕虜などが多数犠牲になり、今も「死の鉄道」と呼ばれるが、政府はタイとアンダマン海側を結ぶ「貿易鉄道」として再生し、少数民族地域の経済浮揚を図りたい考えだ。

    旧泰緬鉄道のビルマ側は大戦後、大半が少数民族武装勢力の新モン州党(NMSP)やカレン民族同盟(KNU)の支配地域に入り、廃線状態となった。だが、政府が昨年、NMSP、KNUと停戦協定を結んだため、鉄道ルートの活用が可能になった。

    和平交渉を担当するアウン・ミン大統領府相によると、鉄道と道路は、鉄道のビルマ側起点だったタンビュザヤから、国境のスリーパゴダパスまでの約100キロ・メートルに建設する。政府は先月中旬、すでにルートの現地調査に着手しており、テイン・セイン大統領は最近、道路建設の調査費計上も認めた。

    大統領は、タイ国境沿いに経済特区を数か所建設し、少数民族地域の経済発展を目指す考えで、スリーパゴダパスにも特区を開発する予定だ。

    タイ側には、バンコク方面からスリーパゴダパス付近まで幹線道路が延びており、ミャンマー政府は双方の道路を接続させる一方、旧泰緬鉄道のタイ・ナムトクからミャンマー側までの断線区間の整備などもタイ政府と協議し、経済特区の機能性を高めて外資などの工場進出を促す。

    モン州の州都モーラミャイン周辺には、貿易港を整備する計画もあり、鉄道と道路が開通すれば、日系工場が集まるタイやベトナム側とインド、欧州方面を結ぶ新たな動脈になる。

    資金計画は調査結果を基に検討するが、アウン・ミン大臣は「外国から資金を得たい」と開発援助に期待する一方で、政府単独でも建設を進める方針を示した。
    (ミャンマー東部タンビュザヤで 深沢淳一、写真も)

    ◆泰緬鉄道=旧日本軍が1942年7月~43年10月に建設したタイ・ノンプラドックとビルマ(現ミャンマー)・タンビュザヤを結ぶ415キロ・メートルの鉄道。英国軍の捕虜やアジア人労働者が動員され、過酷な労働や疫病などで7万人以上が犠牲になったとされる。

    タイ西部カンチャナブリにある鉄橋は、映画「戦場にかける橋」の舞台となった。現在、鉄道はタイ側の一部で運行されている。

    (資料)


    上記Webページに掲載した各Webサイト(リンク)の一覧だクェッ!!!。

    Link
    Go!Go!キョロちゃん!!! (Vol.M-011) 日本・世界各地の日本人墓地・慰霊碑・歴史遺構・日本人町跡など【まとめページ】




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