Vol.0277 【泰緬鉄道の史跡・足跡を訪ねて】 ヘルファイアパス・メモリアル記念館 ヘルファイアパス (カンチャナブリー県) (タイ) |
Vol.0279 タイ・ミャンマー国境の街・サンクラブリー サンクラブリ (タイ) |
Vol. 0278
【泰緬鉄道の史跡・足跡を訪ねて】 スリーパゴダパス / 国境平和記念堂「星露院」(永瀬隆さんが建立) ロケ地 スリーパゴダパス (カンチャナブリー県サンクラブリー郡) (タイ) |
タイ西部、タイとミャンマーの国境の地に3つのパゴダ(仏塔)がある峠、スリー・パゴダ・パスにやってきたよ。ここはかつて泰緬鉄道も走っていた場所だよ。 また、ここには、日本人が建立した寺院、国境平和祈念堂「星露院」もあるので、そこをお参りしてみるよ。 |
※ このページは、 Go!Go!キョロちゃん『Vol.249 「死の鉄道」と呼ばれた泰緬鉄道の足跡を訪ねて』 および Go!Go!キョロちゃん『Vol.250 タイの日本人墓地・慰霊碑・納骨堂・お寺などを訪ねて 』 に掲載した写真の中から「スリーパゴダ・パス」 に関する写真を抜粋して掲載したものだクェ。 |
写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.000-01 |
【訃報記事①】永瀬隆さん 第二次世界大戦時、陸軍の通訳として泰緬鉄道の建設に携わり、戦後、タイ各地に寺院や慰霊碑を建立された永瀬隆さんが、2011年6月21日にお亡くなりになりました。(享年93歳) 永瀬さんがタイ各地に建立した寺院・慰霊碑 ・「クワイ河平和寺院」 (カンチャナブリ) 国境平和祈念堂「星露院」 (サンクラブリ郊外・スリーパゴダパス) ・「日本兵士鎮魂之塔」 (ファイポン村) ・「クンユアム星露院」 (クンユアム・ムワイトー寺) など。 ・カンチャナブリのJEATH戦争博物館の中庭には永瀬さんの銅像があります。 |
【訃報記事①】永瀬隆さん |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.000-02 |
【訃報記事②】永瀬隆さん |
【訃報記事②】永瀬隆さん |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.000-03 |
【訃報記事③】永瀬隆さん |
【訃報記事③】永瀬隆さん |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.000-04 |
(参考資料) 先日、こんな記事を見つけたクェ。 2013年1月1日11時31分 読売新聞 (原文) 「戦場にかける橋」泰緬鉄道ミャンマーで再生へ 第2次大戦中に旧日本軍がタイからビルマ(現ミャンマー)へ軍事物資を輸送するために建設した泰緬(たいめん)鉄道のルートに、ミャンマー政府が新たに鉄道と幹線道路を建設する計画であることが、明らかになった。 建設に動員された捕虜などが多数犠牲になり、今も「死の鉄道」と呼ばれるが、政府はタイとアンダマン海側を結ぶ「貿易鉄道」として再生し、少数民族地域の経済浮揚を図りたい考えだ。 旧泰緬鉄道のビルマ側は大戦後、大半が少数民族武装勢力の新モン州党(NMSP)やカレン民族同盟(KNU)の支配地域に入り、廃線状態となった。だが、政府が昨年、NMSP、KNUと停戦協定を結んだため、鉄道ルートの活用が可能になった。 和平交渉を担当するアウン・ミン大統領府相によると、鉄道と道路は、鉄道のビルマ側起点だったタンビュザヤから、国境のスリーパゴダパスまでの約100キロ・メートルに建設する。政府は先月中旬、すでにルートの現地調査に着手しており、テイン・セイン大統領は最近、道路建設の調査費計上も認めた。 大統領は、タイ国境沿いに経済特区を数か所建設し、少数民族地域の経済発展を目指す考えで、スリーパゴダパスにも特区を開発する予定だ。 タイ側には、バンコク方面からスリーパゴダパス付近まで幹線道路が延びており、ミャンマー政府は双方の道路を接続させる一方、旧泰緬鉄道のタイ・ナムトクからミャンマー側までの断線区間の整備などもタイ政府と協議し、経済特区の機能性を高めて外資などの工場進出を促す。 モン州の州都モーラミャイン周辺には、貿易港を整備する計画もあり、鉄道と道路が開通すれば、日系工場が集まるタイやベトナム側とインド、欧州方面を結ぶ新たな動脈になる。 資金計画は調査結果を基に検討するが、アウン・ミン大臣は「外国から資金を得たい」と開発援助に期待する一方で、政府単独でも建設を進める方針を示した。 (ミャンマー東部タンビュザヤで 深沢淳一、写真も) ◆泰緬鉄道=旧日本軍が1942年7月~43年10月に建設したタイ・ノンプラドックとビルマ(現ミャンマー)・タンビュザヤを結ぶ415キロ・メートルの鉄道。英国軍の捕虜やアジア人労働者が動員され、過酷な労働や疫病などで7万人以上が犠牲になったとされる。 タイ西部カンチャナブリにある鉄橋は、映画「戦場にかける橋」の舞台となった。現在、鉄道はタイ側の一部で運行されている。 |
(資料) |
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No.001 |
洞窟探検終了。 ではこれからタイ・ミャンマー国境のスリー・パゴダ・パス(日本語では「三仏塔峠」に向かうクェ。 ※ このページは、Go!Go!キョロちゃん『Vol.249 「死の鉄道」と呼ばれた泰緬鉄道の足跡を訪ねて』およびGo!Go!キョロちゃん『Vol.250 タイの日本人墓地・慰霊碑・納骨堂・お寺などを訪ねて 』に掲載した写真の中から 「スリー・パゴダ・パス」 に関する写真を抜粋して掲載したものだクェ。 |
(タイ,サンクラブリー郊外) |
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No.002 |
標識には「ミャンマー」と書かれているね。 |
(タイ,サンクラブリー郊外) |
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No.003 |
バイクでひたすら走り続ける・・・。カンチャナブリからはすでに220Km以上離れているクェ。 |
(タイ,サンクラブリー郊外) |
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No.004 |
スリーパゴダパスはこの先にあるクェ。 |
(タイ,サンクラブリー郊外) |
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No.005 |
国道の終着地に3つのパゴダ。 ここがタイの西の端「スリー・パゴダ・パス(三仏塔峠)」だクェ。 |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.006 |
大きな白いパゴダが3つきれいに並んでいるね。 |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.007 |
パゴダの前で記念撮影 「ハイ、チ~、クェッ!!!」 |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.008 |
合掌 |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.009 |
違う角度からもう一枚・・・ |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.010 |
あれはミャンマーの国旗だね。 |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.011 |
ミャンマー語の文字・・・ 丸っこい文字でかわいいクェね。 |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.012 |
国境のバーの上で一休み!!! |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.013 |
あの建物の上にビルマの国旗・・・。色あせてるけど・・・。 |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.014 |
「ミャンマー」 |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.015 |
「ミャンマー」の標識の後ろに線路発見!!! 泰緬鉄道の線路だね。 これは実際にここに敷設されていたのを残しているのかな?それとも展示用としてここに敷設されているのかな? |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.016 |
もちろんおいらたち、この線路の上で一休み・・・。 でもこの場所、あの赤白のバーを越えたところにあるんだけど大丈夫クェか?不法入国じゃないクェよ!たぶん・・・。 |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.017 |
泰緬鉄道の線路 |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.018 |
その線路の横にはこんなモニュメント。 「Myammar Thai Japanese Old Railway (1942)」 って書かれているね。 |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.019 |
泰緬鉄道の線路と青いモニュメントをバックに記念撮影 |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.020 |
これは鉄道標識かな? |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.021 |
鉄道標識と、泰緬鉄道の線路と青いモニュメントをバックに記念撮影 |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.022 |
タイ側国境イミグレーションの隣の食堂の中でモニュメント見~つけた!!! |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.023 |
泰緬鉄道についてのモニュメントだクェね。 泰緬鉄道の地図には地形の凹凸が表されているので、どんな地形のところに線路を敷設したかがよくわかるクェ。 |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.024 |
これは泰緬鉄道での国別の負傷者数と死者数を表したものだクェ。 ※写真をクリックすると拡大写真が見えるクェ。 |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.025 |
このモニュメントがある食堂で一休み。 クワイティアオ(タイ・ラーメン)でも食べよっと。 ちなみにおいらたちがいる所はタイだクェ。でもおいらたちの背後に見える窓の外側はミャンマーだクェ。 |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.026 |
ミャンマー |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.027 |
この窓の外はミャンマーだクェ。つまりそこに見える竹製の垣根より右がミャンマー。 誤って窓の外に物を落としたら、ミャンマーに入って拾う必要があるね・・・。 っていうか、こんな国境でいいクェか? |
スリー・パゴダ・パス(タイ,ビルマ国境) |
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No.028 |
スリーパゴダパスの一角に泰緬鉄道の線路発見。 そしてその後ろには寺院があるね。あの寺院は、元日本陸軍憲兵隊通訳の永瀬隆さんが建立したものだクェ。 【訃報】この寺院を建立された永瀬隆さんが、2011年6月21日にお亡くなりになりました。(享年93歳) 訃報記事はこのHPの一番最後(一番下)に掲載しています。 ご冥福をお祈りいたします。 |
国境平和祈念堂「星露院」(タイ,スリーパゴダパス) |
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No.029 |
泰緬鉄道の線路 |
国境平和祈念堂「星露院」(タイ,スリーパゴダパス) |
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No.030 |
この先まっすぐ行くとタイ・ミャンマーの国境。 あそこにミャンマーの国旗が掲揚されているね。小さすぎてわかりにくいけど・・・。 |
国境平和祈念堂「星露院」(タイ,スリーパゴダパス) |
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No.031 |
元日本陸軍憲兵隊通訳の永瀬隆さんが建立した国境平和祈念堂「星露院」だクェ。 |
国境平和祈念堂「星露院」(タイ,スリーパゴダパス) |
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No.032 |
国境平和祈念堂「星露院」 |
国境平和祈念堂「星露院」(タイ,スリーパゴダパス) |
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No.033 |
国境平和祈念堂「星露院」 |
国境平和祈念堂「星露院」(タイ,スリーパゴダパス) |
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No.034 |
国境平和祈念堂「星露院」 |
国境平和祈念堂「星露院」(タイ,スリーパゴダパス) |
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No.035 |
ここに釣り鐘があったのかな? |
国境平和祈念堂「星露院」(タイ,スリーパゴダパス) |
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No.036 |
寺院の前の詩歌碑 |
国境平和祈念堂「星露院」(タイ,スリーパゴダパス) |
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No.037 |
詩歌碑の背面 |
国境平和祈念堂「星露院」(タイ,スリーパゴダパス) |
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No.038 |
では寺院に参拝するクェ。 |
国境平和祈念堂「星露院」(タイ,スリーパゴダパス) |
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No.039 |
その前に記念撮影・・・ |
国境平和祈念堂「星露院」(タイ,スリーパゴダパス) |
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No.040 |
お馬さんの慰霊もしてるんだね。 |
国境平和祈念堂「星露院」(タイ,スリーパゴダパス) |
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No.041 |
詩歌 |
国境平和祈念堂「星露院」(タイ,スリーパゴダパス) |
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No.042 |
国境平和祈念堂「星露院」 |
国境平和祈念堂「星露院」(タイ,スリーパゴダパス) |
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No.043 |
合掌 |
国境平和祈念堂「星露院」(タイ,スリーパゴダパス) |
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No.044 |
ではこれから、スリーパゴダパスの近くにある街、サンクラブリーに向かうクェ。 |
(タイ,サンクラブリー) |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.000-01 |
【訃報記事①】永瀬隆さん 第二次世界大戦時、陸軍の通訳として泰緬鉄道の建設に携わり、戦後、タイ各地に寺院や慰霊碑を建立された永瀬隆さんが、2011年6月21日にお亡くなりになりました。(享年93歳) 永瀬さんがタイ各地に建立した寺院・慰霊碑 ・「クワイ河平和寺院」 (カンチャナブリ) 国境平和祈念堂「星露院」 (サンクラブリ郊外・スリーパゴダパス) ・「日本兵士鎮魂之塔」 (ファイポン村) ・「クンユアム星露院」 (クンユアム・ムワイトー寺) など。 ・カンチャナブリのJEATH戦争博物館の中庭には永瀬さんの銅像があります。 |
【訃報記事①】永瀬隆さん |
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写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!! No.000-02 |
【訃報記事②】永瀬隆さん |
【訃報記事②】永瀬隆さん |
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【訃報記事③】永瀬隆さん |
【訃報記事③】永瀬隆さん |
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(参考資料) 先日、こんな記事を見つけたクェ。 2013年1月1日11時31分 読売新聞 (原文) 「戦場にかける橋」泰緬鉄道ミャンマーで再生へ 第2次大戦中に旧日本軍がタイからビルマ(現ミャンマー)へ軍事物資を輸送するために建設した泰緬(たいめん)鉄道のルートに、ミャンマー政府が新たに鉄道と幹線道路を建設する計画であることが、明らかになった。 建設に動員された捕虜などが多数犠牲になり、今も「死の鉄道」と呼ばれるが、政府はタイとアンダマン海側を結ぶ「貿易鉄道」として再生し、少数民族地域の経済浮揚を図りたい考えだ。 旧泰緬鉄道のビルマ側は大戦後、大半が少数民族武装勢力の新モン州党(NMSP)やカレン民族同盟(KNU)の支配地域に入り、廃線状態となった。だが、政府が昨年、NMSP、KNUと停戦協定を結んだため、鉄道ルートの活用が可能になった。 和平交渉を担当するアウン・ミン大統領府相によると、鉄道と道路は、鉄道のビルマ側起点だったタンビュザヤから、国境のスリーパゴダパスまでの約100キロ・メートルに建設する。政府は先月中旬、すでにルートの現地調査に着手しており、テイン・セイン大統領は最近、道路建設の調査費計上も認めた。 大統領は、タイ国境沿いに経済特区を数か所建設し、少数民族地域の経済発展を目指す考えで、スリーパゴダパスにも特区を開発する予定だ。 タイ側には、バンコク方面からスリーパゴダパス付近まで幹線道路が延びており、ミャンマー政府は双方の道路を接続させる一方、旧泰緬鉄道のタイ・ナムトクからミャンマー側までの断線区間の整備などもタイ政府と協議し、経済特区の機能性を高めて外資などの工場進出を促す。 モン州の州都モーラミャイン周辺には、貿易港を整備する計画もあり、鉄道と道路が開通すれば、日系工場が集まるタイやベトナム側とインド、欧州方面を結ぶ新たな動脈になる。 資金計画は調査結果を基に検討するが、アウン・ミン大臣は「外国から資金を得たい」と開発援助に期待する一方で、政府単独でも建設を進める方針を示した。 (ミャンマー東部タンビュザヤで 深沢淳一、写真も) ◆泰緬鉄道=旧日本軍が1942年7月~43年10月に建設したタイ・ノンプラドックとビルマ(現ミャンマー)・タンビュザヤを結ぶ415キロ・メートルの鉄道。英国軍の捕虜やアジア人労働者が動員され、過酷な労働や疫病などで7万人以上が犠牲になったとされる。 タイ西部カンチャナブリにある鉄橋は、映画「戦場にかける橋」の舞台となった。現在、鉄道はタイ側の一部で運行されている。 |
(資料) |
Link |
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Go!Go!キョロちゃん!!! (Vol.250) タイの日本人墓地・慰霊碑・納骨堂・お寺などを訪ねて |
Go!Go!キョロちゃん!!! (Vol.281) 泰緬鉄道で使われていた蒸気機関車たち |