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Vol.1366
日本人移民村・ 賀田村開拓記念碑 (呉全城開拓記念碑) (台湾・花蓮県寿豊郷)
花蓮県寿豊郷 (台湾)


Vol.1368
【台湾バイク旅 (花蓮県)】 (1) 瑞穗祠 (瑞穗神社)
瑞穗 (花蓮県) (台湾)



おいらたち好奇心旺盛なキョロちゃんが、いろいろなところを訪れたクェ!!!


Vol. 1367
賀田組拓殖部従業員の墓 (寿豊郷呉全公墓内)
ロケ地
寿豊郷 (花蓮県) (台湾)



No.001
ここは、台湾の花蓮市からバスで30分くらい走ったところにある、花蓮県寿豊郷呉全 というところだクェ。
日本人移民村・ 賀田村開拓記念碑 (呉全城開拓記念碑)の訪問を終え、現在、その近くにある「賀田組拓殖部従業員の墓」を訪れるクェ。この賀田組拓殖部従業員の墓は、「寿豊郷呉全公墓」という霊園(墓地)内にあるクェ。ただしおいら、正確な場所はわからないので、この墓地に着いたら探さないといけないクェね。

ということで、田舎のこの道を寿豊郷呉全公墓に向けて歩いているクェ。

※賀田組拓殖部従業員の墓については、ネットなどで検索してクェ。参考までに、おいらがネットで見つけた資料は、このページの最後(一番下)に掲載しておくクェ。


※(ご参考)
台湾をはじめ、これまでに日本や世界各地の日本人墓地、日本人慰霊碑、神社跡、史跡、日本人街などを訪れたクェ。その時の様子は下記リンク先を参照してクェ。

花蓮県寿豊郷 (台湾)

  • Go!Go!キョロちゃん (Vol.M-011) 日本や世界各地の日本人墓地・慰霊碑・日本人町跡・歴史遺構など まとめページ (メニューページ)





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    No.002
    右側にみえるこれは、老人ホームのようだクェ。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.003
    寿豊郷呉全公墓の近くのお堂。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.004
    寿豊郷呉全公墓(公共墓園)に到着j!
    ではこれから「賀田組拓殖部従業員の墓」を探すクェ。

    寿豊郷呉全公墓 (花蓮県寿豊郷) (台湾)

    No.005
    ここを右折して墓地の中へ入って行く。

    寿豊郷呉全公墓 (花蓮県寿豊郷) (台湾)

    No.006
    ここのY字分岐はどうしよう・・・。アスファルト道に沿って右方面に行くクェ。

    寿豊郷呉全公墓 (花蓮県寿豊郷) (台湾)

    No.007
    どんどん歩いて行く。

    寿豊郷呉全公墓 (花蓮県寿豊郷) (台湾)

    No.008
    ここを左の方に行って、墓地内に入って行くクェ。

    寿豊郷呉全公墓 (花蓮県寿豊郷) (台湾)

    No.009
    適当に歩いて行く。墓園の手入れがほとんどされていないし、雑草だらけでとても歩きにくいクェ。

    寿豊郷呉全公墓 (花蓮県寿豊郷) (台湾)

    No.010
    とりあえずは、個々の墓地を渡り歩くようにして進んで行く。

    寿豊郷呉全公墓 (花蓮県寿豊郷) (台湾)

    No.011
    この先は、背丈くらいある雑草でびっしり埋め尽くされているクェ。ここから先へは歩けなさそうだね。穴ぼこやぬかるみがあってもわからないからねぇ。毒蛇やマダニなどもいたらいやだし・・・。

    と思っていたら、あの先に、見覚えある石碑が見えたクェ。

    賀田組拓殖部従業員の墓 (寿豊郷呉全公墓) (台湾・台湾・花蓮県寿豊郷)

    No.012
    ズームで見てみる。あれは、ネットで調べていた時に見つけた「賀田組拓殖部従業員の墓」の写真と同じだクェ!!!
    こんな広い墓地でこんなに早く見つかるなんて、なんて偶然!!!

    賀田組拓殖部従業員の墓 (寿豊郷呉全公墓) (台湾・台湾・花蓮県寿豊郷)

    No.013
    賀田組拓殖部従業員の墓を観察中。
    この雑草だとあそこまではいけないクェ。
    雑草地帯の真ん中に建っているので、他の角度(方向)からもいけそうにないクェ。仕方ないので、ここからズームを使って観察しよっと。

    賀田組拓殖部従業員の墓 (寿豊郷呉全公墓) (台湾・台湾・花蓮県寿豊郷)

    No.014
    賀田組拓殖部従業員の墓を観察中。

    賀田組拓殖部従業員の墓 (寿豊郷呉全公墓) (台湾・台湾・花蓮県寿豊郷)

    No.015
    賀田組拓殖部従業員の墓を観察中。

    賀田組拓殖部従業員の墓 (寿豊郷呉全公墓) (台湾・台湾・花蓮県寿豊郷)

    No.016
    賀田組拓殖部従業員の墓を観察中。

    賀田組拓殖部従業員の墓 (寿豊郷呉全公墓) (台湾・台湾・花蓮県寿豊郷)


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    No.017
    賀田組拓殖部従業員の墓を観察中。

    賀田組拓殖部従業員の墓 (寿豊郷呉全公墓) (台湾・台湾・花蓮県寿豊郷)

    No.018
    念のため、違う角度(方向)からアプローチしてみるクェ。
    この雑草の中を進んで行く。

    賀田組拓殖部従業員の墓 (寿豊郷呉全公墓) (台湾・台湾・花蓮県寿豊郷)

    No.019
    これから先へ行くのはちょっと危険かな?
    服装とか靴などをちゃんと装備していたら行けるけどねぇ。

    賀田組拓殖部従業員の墓 (寿豊郷呉全公墓) (台湾・台湾・花蓮県寿豊郷)

    No.020
    こっちの角度からは無理だクェ。

    賀田組拓殖部従業員の墓 (寿豊郷呉全公墓) (台湾・台湾・花蓮県寿豊郷)

    No.021
    こっちの角度から、賀田組拓殖部従業員の墓を眺める。

    これ以上はどうしようもないクェ。仕方ないけど、バスの時間も近づいてきたので、そろそろ帰るクェ。

    賀田組拓殖部従業員の墓 (寿豊郷呉全公墓) (台湾・台湾・花蓮県寿豊郷)

    No.022
    帰りはこの道を歩いて行く。来た時の道は、つながれていない犬が再び追いかけてきそうなので通らないクェ。
    別のこの道を通るクェ。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.023
    のどかな田舎の風景がいいね。今日は雲が多くて今にも雨が降り出しそうだクェ。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.024
    広~い畑の横を歩いて行く。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.025
    あそこで大通りに合流するクェ。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.026
    大通りに合流。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.027
    今歩いてきた道は、「呉全路」という名前の通りだクェ。この先は「大学路」とういう名前になるんだね。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.028
    振り返って、今歩いてきた道を眺める。
    「賀田組拓殖部従業員の墓」や「日本人移民村・ 賀田村開拓記念碑」を訪れる時は、ここから入って行った方がいいだろうクェね。来る時と通った道は、くさりにつながれていない猛犬で危ない思いをするクェね。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.029
    この道の入口に標識があるね。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.030
    この標識のある所を入って行けばいいクェね。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.031
    では、バス亭に向かうクェ。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.032
    セブンイレブン!

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.033
    バスの時間までもう少しあるので、ここでコーヒーでも飲んで、ひと休みするクェ。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.034
    台湾のセブンイレブンの超人気マスコットの「オープンちゃん」!!!

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.035
    そろそろバスの時間なので、バス停に向かうクェ。
    振り返って、セブンイレブンを眺める。大きなY字分岐点の中にあるクェ。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.036
    あの大きなビルの前がバス停だクェ。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.037
    あそこにバス停が見えてきたクェ。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)


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    No.038
    「大学路口」バス停。
    301番系統のバスで花蓮駅に向かうクェ。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)


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    No.039
    時刻表を見てみる。
    平日は、だいたい1時間に1本。休日は便数が減るクェね。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)


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    No.040
    路線図を見てみる。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.041
    おっ、301番系統の花蓮駅行きバスがやってきたクェ。

    花蓮県寿豊郷 (台湾)

    No.042
    約30分で、花蓮駅前に到着~。
    だいぶ暗くなってきたクェ。

    花蓮市 (台湾・花蓮県)

    No.043
    駅から歩いて5分くらいの所にある宿「Here and Now Hotel 花蓮近来背包客棧」に到着。

    花蓮市 (台湾・花蓮県)

    No.044
    「Here and Now Hotel 花蓮近来背包客棧」を眺める。

    花蓮市 (台湾・花蓮県)

    No.045
    夜ごはんを食べに来たクェ。
    宿のスタッフがおすすめのお店にやってきたクェ。
    お店の名前は「周家蒸餃(花商店)」。宿から徒歩5分くらいの所だクェ。

    花蓮市 (台湾・花蓮県)

    No.046
    台湾セブンイレブンの超人気マスコットのオープンちゃん!

    今日は、お疲れさまでした!
    明日は列車で移動して瑞穗祠(瑞穗神社)などを訪れる予定だクェね!!


    ※(ご参考)
    台湾をはじめ、これまでに日本や世界各地の日本人墓地、日本人慰霊碑、神社跡、史跡、日本人街などを訪れたクェ。その時の様子は下記リンク先を参照してクェ。

    花蓮市 (台湾・花蓮県)

  • Go!Go!キョロちゃん (Vol.M-011) 日本や世界各地の日本人墓地・慰霊碑・日本人町跡・歴史遺構など まとめページ (メニューページ)





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    No.000-01
    (参考資料 1-1)

    ※ネットで見つけたウェブサイトより。
    URL: http://p.booklog.jp/book/98946/page/2675474
    (以下、原文のまま)


    台湾初の日本人移民村・賀田村 開拓記念碑&賀田組拓殖部従業員の墓(花蓮県壽豊郷)(その1)

    「台湾で初めての日本人移民村は?」という問いに、台湾通の方のほとんどが「花蓮・吉野村」と答えるでしょう。しかし、それは間違いです。
    正解は「花蓮・賀田村」です。
    吉野村は1910年開村の国営の日本人移民村。一方、賀田村は1906年5月開村の民間の日本人移民村です。
    賀田村を開村したのは、山口県萩市出身の実業家、賀田金三郎氏です。

    彼は、後藤新平民政長官との約束を果たすべく、1899年、それまで勤めていた大倉組を辞め賀田組を設立、妻の賀田道子さんと共に、「不毛の地」と言われていた花蓮にやって来ました。当時の記録によると、民間人で初めて花蓮の地に足を踏み入れたのは賀田夫婦だったそうです。賀田は花蓮に入る前に、台湾総督府に勤務していた新渡戸稲造氏と相談し、東台湾に適した農作物として、赤サトウキビの栽培と黄色煙草の葉の栽培を選び、花蓮到着後早速栽培を開始しました。同時に、灌漑用水の整備、トロッコ鉄道の整備、道路の整備等々、移民達が生活をする上で必要なインフラ整備も行いました。
    さらに、花蓮の地に産業を興す必要があると考えた賀田は、製糖工場(賀田製糖所=現在のパール印のお砂糖の前身)、中央山脈に自生している楠を使って樟脳をつくる製脳工場を作りました。

    1895年4月17日に日本は台湾を統治しましたが、そのわずか3か月後の7月に、賀田は大倉組台湾総支配人として台湾へ渡って来ました。
    その後、児玉源太郎総督、後藤新平民政長官が行った匪賊の帰順、台湾日日新報の創設、台湾銀行の創設、台湾貯蓄銀行の創設等々、台湾の近代化を陰で支え、真の功労者として活躍しました。さらに、佐久間左馬太総督が特に、頼りにしていたのもこの賀田金三郎だったのです。

    賀田金三郎については、現在、筆者は書きURLにて連載を行っていますので、お時間があればお読みいただければ幸いです。

    賀田組拓殖部従業員の墓 (寿豊郷呉全公墓) (台湾・台湾・花蓮県寿豊郷)

  • (参照元)
    「台湾初の日本人移民村・賀田村 開拓記念碑&賀田組拓殖部従業員の墓(花蓮県壽豊郷)]





  • 写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!!
    No.000-02
    (参考資料 1-2)

    ※ネットで見つけたウェブサイトより。
    URL: http://p.booklog.jp/book/98946/page/2675474
    (以下、原文のまま)


    台湾初の日本人移民村・賀田村 開拓記念碑&賀田組拓殖部従業員の墓(花蓮県壽豊郷)(その2)

    さて、この賀田金三郎が開村した賀田村。現在の花蓮県壽豊郷平和村、志學村一帯が賀田村でした。また、現在の東華大学は賀田農園があった場所になります。

    賀田組拓殖部従業員の墓 (寿豊郷呉全公墓) (台湾・台湾・花蓮県寿豊郷)


    写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!!
    No.000-03
    (参考資料 1-3)

    ※ネットで見つけたウェブサイトより。
    URL: http://p.booklog.jp/book/98946/page/2675474
    (以下、原文のまま)


    台湾初の日本人移民村・賀田村 開拓記念碑&賀田組拓殖部従業員の墓(花蓮県壽豊郷)(その3)

    この賀田金三郎の功績を讃える石碑が「開拓記念碑」です。台湾における日本人の歴史の始まりの地なのですが、残念ながらこの地を訪れる日本人はほとんどいません。

    最近は大勢の台湾通の方がおられますが、台湾を語るならば、まずは、この地を訪れ、賀田金三郎について知り、賀田の残したものが、その後の台湾の発展にどれほど大きな影響を与えたかを知った上で、台湾を語って欲しいというのが筆者の思いです。

    賀田は原住民にも苦しめられました。大切な自分の従業員・村人を原住民達によって殺害されました。
    当時、賀田金三郎が社長を務める賀田組は、花蓮威里社區内(現在の秀林郷佳林村)に製脳事務所を設けていた。この付近一帯で樟脳の原料となるクスノキの伐採を行っていました。
    しかし、この付近一帯には、太魯閣族が住んでいた。彼らには、首狩りの習慣があったのです。
    賀田組は東台湾開発を始めた当初からこの太魯閣族からの襲撃に備え、明治36年(1903年)、賀田金三郎より台湾総督府に対し、銃3000丁、弾薬30万発、大砲4門を購入し、各地で警備にあたっていた。と、言うのも、当時、東台湾では警察官が不足しており、自分達で警備する他、方法がなかったのです。
    この賀田組の警備を担当していたのが、日本側に味方する太魯閣族(外太魯閣族と呼ばれていた)でした。

    賀田組は外太魯閣族との間で、威里社区をはじめ7つの社区と土地の賃貸借契約を締結していた。契約内容によると、賃料は、毎年年末に、200円を支払うというものになっていました。しかし、契約観念のない太魯閣族は、賀田組に対し、外太魯閣族を代表して、威里社区の長老より夏の時点で、賃料を支払ってほしいと訴えてきたのです。
    賀田組は熟慮したうえで、とりあえず半分の100円を、威里社区の長老に支払い、皆と分けて欲しいと告げたのです。

    しかしこの長老は、自分達の親族だけでその100元を分け、他の社区への分配をしなかった。これに腹を立てた他の社区が、長老の親族を殺害するという事件が発生しました。
    この事件を受け、当時の花蓮行政のトップであった花蓮支廰長の大山十郎警部は、賀田組と協議を行い、威里事務所の閉鎖とクスノキ伐採の中止を決定、その旨を外太魯閣族に通達した。何故、「中止」を決定したのか。先の威里社区長老親族殺人事件の後、他の社区の外太魯閣族の間では、賀田組に対し、逆恨みをするものがいるとの情報が流れてきたからである。

    賀田組拓殖部従業員の墓 (寿豊郷呉全公墓) (台湾・台湾・花蓮県寿豊郷)


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    No.000-04
    (参考資料 1-4)

    ※ネットで見つけたウェブサイトより。
    URL: http://p.booklog.jp/book/98946/page/2675474
    (以下、原文のまま)


    台湾初の日本人移民村・賀田村 開拓記念碑&賀田組拓殖部従業員の墓(花蓮県壽豊郷)(その4)

    威里社区からの全面撤退決定直後の7月30日に、西拉丘社(現在の實仔眼社)で2名の日本人の木こりが外太魯閣族によって殺害、首狩りに遭いました。さらに、翌日31日には、遮埔頭(現在の康楽村)で5名の日本人きこりが殺害、首狩りに遭いました。

    この2件の日本人殺害事件で、大山十郎警部は、直ちに、賀田組威里事務所に残っていた従業員全員の避難を命じ、自らも、救出のために威里事務所へと向かった。
    明治39年(1906年)8月1日、大山警部、阿部巡査、賀田組職員の山田海三、喜多川貞次郎及び25名の職員が避難を始めたその時、突然、外太魯閣族の集団が彼らを奇襲、全員の首を狩って殺害しました。(威里事件)

    記録によれば、一度にこれだけの一般人が太魯閣族によって殺害されたのは、日本が台湾を統治した1895年以降、初めての悲劇だったそうです。

    「威里事件」は、賀田金三郎にとって、大切な従業員を失ったばかりか、その後の移民事業に大きな影を落とす事となり、結果的に、花蓮の産業発展を願っていた彼の願いをも根幹から揺るがす大事件だったのです。
    また、賀田村の移民達にも大きな動揺が走ったことは間違いないことでした。

    この事件を受けて賀田金三郎は時の台湾総督であった佐久間左馬太に直訴状を出し、それがきっかけで、佐久間左馬太は、1914年5月31日、3か月に渡る戦争の末、太魯閣族を討伐したのです。(2万人の死者を出す大惨事となりました。太魯閣の戦没と呼ばれています。戦場は、タロコ渓谷一帯)

    この威里事件の犠牲者である賀田組拓殖部従業員のために、賀田はお墓を建立しています。現在は参拝する人もなく、呉全公墓にひっそりと建っています。筆者は、命日とお盆、お彼岸には参拝をさせて頂いております。
    また、2014年2月18日、賀田金三郎が門徒であった曹洞宗の僧侶の方々にお願いし、戦後初の法要も執り行いました。

    場所が非常に判りにくい場所にあるため、もしも参拝をご希望される方は、筆者まで一報頂ければご案内させて頂きます。

    結局、賀田村は、この原住民達の襲撃とマラリアの横行により、わずか4年半で村人が誰も居なくなってしまい、閉村となってしまいました。しかし、賀田金三郎が花蓮の地に残した功績は大きく、今でも、花蓮開拓の父として花蓮の人達は彼の功績を讃えています。


    賀田金三郎物語:http://www.ekidensha.com/category/kada

    賀田村:花蓮県壽豊郷志學村・平和村一帯
    台湾鉄道志學駅下車 徒歩

    開拓記念碑:花蓮県壽豊郷平和村呉全
    賀田組拓殖部従業員の墓:花蓮県壽豊郷平和村呉全公墓内

    賀田組拓殖部従業員の墓 (寿豊郷呉全公墓) (台湾・台湾・花蓮県寿豊郷)


    写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!!
    No.047
    (参考資料)

    花蓮絵近くのレンタサイクル(貸自転車)屋さんの名刺(表)

    花蓮市 (台湾・花蓮県)


    写真をクリックすると拡大写真が現れるクェッ!!!
    No.048
    (参考資料)

    花蓮絵近くのレンタサイクル(貸自転車)屋さんの名刺(うら)

    花蓮市 (台湾・花蓮県)


    上記Webページに掲載した各Webサイト(リンク)の一覧だクェッ!!!。

    Link
    Go!Go!キョロちゃん (Vol.M-011) 日本や世界各地の日本人墓地・慰霊碑・日本人町跡・歴史遺構など まとめページ (メニューページ)
    Go!Go!キョロちゃん (Vol.M-011) 日本や世界各地の日本人墓地・慰霊碑・日本人町跡・歴史遺構など まとめページ (メニューページ)
    (参照元)
    「台湾初の日本人移民村・賀田村 開拓記念碑&賀田組拓殖部従業員の墓(花蓮県壽豊郷)]




    Vol.1366
    日本人移民村・ 賀田村開拓記念碑 (呉全城開拓記念碑) (台湾・花蓮県寿豊郷)
    花蓮県寿豊郷 (台湾)


    Vol.1367
    賀田組拓殖部従業員の墓 (寿豊郷呉全公墓内)
    寿豊郷 (花蓮県) (台湾)


    Vol.1368
    【台湾バイク旅 (花蓮県)】 (1) 瑞穗祠 (瑞穗神社)
    瑞穗 (花蓮県) (台湾)


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